スロバキアの日刊紙「SME」編集記者ボリス・バンヤ氏(Boris Vanya)からEメールを受け取った。1988年3月25日ブラチスラバ民族劇場前でキリスト者たちの「宗教の自由」を要求したロウソク集会が開催されたが、スロバキアの民主化運動に大きな影響を与えた同集会30年目の特集記事を書いているので当方とインタビューしたいという内容だった。同氏は当方がロウソク集会で現場取材中に治安部隊に拘束されたジャーナリストの1人だったことを知っていた。多分、警察側の資料から当方の名前を見つけ出したのだろう。

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▲1988年3月25日、ブラチスラバで行われたスロバキアの民主改革に大きな影響を与えたロウソク集会(「SME」紙電子版からボリス・バンヤ記者の記事)

 バンヤ記者が質問項目を送信してきた。どうしてロウソク集会の開催を知ったのか、警察に連行された後、どのような扱いを受けたか、国外追放された後、スロバキアに再入国できたか、など11項目の質問だった。質問に答えながら、当方は30年前のことを思い出そうとした。

 小雨が降る夕方、ブラチスラバの民族劇場前広場がデモ集会の開催地だった。開催前から私服警察官が広場にくる市民の動向に目を光らせていた。キリスト者たちがロウソクを灯して広場に集まりだすと、警察は放水車を駆り出して集まってきた市民を追い払い始めた。当方がカバンから素早くカメラを出してシャッターを切った時、当方の背後から私服警官がカメラを奪い取り、当方を警察の車両に連れて行った。国際記者証を出し、「報道関係者だ」といったが、私服警察官はその記者証を取り上げた。そしてブラチスラバの中央警察署に連行され、釈放されるまで7時間余り尋問を受けた。当方のように警察署に連行された1人のキリスト信者が抗議したら、警察官がその青年の顔を壁に向かってぶつけたのを目撃した。

 冷戦時代の旧チェコスロバキアの民主化運動は、チェコではハベル氏ら反体制活動家を中心とした政治運動が中心だった。一方、スロバキアではキリスト信者たちの「宗教の自由」を求める運動が主導的役割を果たしていた。

 24日には「SME」電子版にバンヤ記者の記事が掲載された。当時のロウソク集会の写真が掲載されていた。その写真を見ると、当時の状況を鮮明に思い出した。記事にはロウソク集会を取材した外国メディアの名前が紹介されていた。BBCから始まり、ドイツの公営放送ARD、オーストリア国営放送(ORF)、米紙ニューヨーク・タイムズ、スイスのノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング、そして日本の世界日報となっていた。

 当方は冷戦時代、通常1人で共産圏に入り、取材していた。一匹狼のジャーナリストの当方のことも忘れず、ロウソク集会30年目の特集記事に言及してくれたバンヤ記者に感謝する。

「Rok a pol pred Nežnou revoluciou a takmer pať rokov pred rozdelenim spoločneho štatu sa o Slovensku a Slovakoch hovorilo a pisalo na celom svete – v britskej televizii BBC, nemeckej ARD, rakuskej ORF, v americkych novinach The New York Times, vo švajčiarskych Neue Zurcher Zeitung či v japonskych Sekai Nippo.」

 スロバキアでは今日、別のデモ集会が各地で開催されている。先月25日、著名なジャーナリストが婚約者の女性と共に自宅で銃殺された。犠牲者は政治家や実業家の腐敗や脱税問題を調査報道することで国内で良く知られていたヤン・クツィアクさん(27)だ。それ以後、政治家とマフィアの癒着を黙認してきた政府の責任を追及する抗議デモ集会が行われている。フィツォ首相やカリナク内相らが次々引責辞任に追い込まれる一大政変となってきた。キスカ大統領が今月22日、フィツォ首相の後継者にペレグリニ氏を任命したが、議会の解散、早期総選挙の可能性も排除できなくなってきた。

 スロバキアの民主化運動に決定的な影響を与えたロウソク集会開催30年目の今年、ジャーナリストの殺人事件が起きて同国の政情は大きく揺れ出した。政治家の腐敗問題はスロバキアが更に飛躍するために避けて通れない課題だろう。