オーストリアで18日、中道右派「国民党」と極右政党「自由党」から成る新連立政権が正式に発足する。同日午前、大統領府でバン・デア・べレン大統領のもと新閣僚たちが宣誓式をした後、新政権はスタートする。

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▲カーレンベルクのポーランド教会正面にあるポーランド王ヤン・ソビエスキーの記念碑(ウィキぺディアから)

 新政権は31歳の最年少首相に就任したセバスチャン・クルツ首相(国民党)とハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ副首相(自由党)のもと14人の大臣、2人の次官から構成されている。国民党出身の首相は11年ぶり、国民党と自由党の連立は通算、3回目となる。前の政権では自由党内の政争もあって任期を全うできずに終わった。今回は5年の任期だ。

 ところで、両党の党首は16日、連立政権の主要課題と政策を明記した政府プログラムを公開した後、記者会見に応じたが、興味深い点は、この記者会見が市内のホテルではなく、郊外のウィ―ンの森にあるカーレンべルク(Kahlenberg)で開催されたことだ。そこはオスマン・トルコの北上で窮地に陥った欧州諸国がポーランド王などの援助を受け、キリスト教軍を形成してオスマン・トルコ軍の北上を阻止した歴史的な場所だ。 

 同国は過去2回、オスマン・トルコから侵入を受けた。1529年と1683年だ。特に、後者(第2次ウィーン包囲)では、北上するトルコ軍にオーストリア側は守勢を余儀なくされ、ウィーン市陥落の危機に直面した。皇帝レオポルト1世の支援要請を受けたポーランド王ヤン・ソビエスキーの援軍がなければ、危なかった。ウィーンがトルコ軍の支配下に陥っていたら、オーストリアはイスラム圏に入り、キリスト教文化は消滅していたかもしれない。その意味で国民党と自由党が新連立政権の政府プログラムと閣僚リストを公表する記者会見の場所にカーレンベルクを選んだという事実は非常に意味深いわけだ。

 極右自由党は反難民政策を掲げ、“オーストリア・ファースト”を標榜する政党であり、最年少首相という名誉を得たクルツ新首相はその厳格な難民政策で欧州政界で名を成した若き政治家だ。2015年に中東・北アフリカから難民が欧州に殺到していなかったならば、両政治家は10月の総選挙で大躍進は難しかったかもしれないし、特に、クルツ首相が首相のポストを得るまであと数年は待たなければならなかっただろう。難民の殺到は両政治家を大躍進させた最大の主因だったことは疑いない。

 その両政治家が新政権のプログラムをカーレンベルクで最初に公表したということは、「欧州をイスラム化から防ぐ」という象徴的なデモンストレーションと受け取って大きな間違いではないだろう。

 ポーランドのモラウィエツキ新首相は今月、就任直後の記者会見で「欧州の再キリスト教化」をその主要目標に挙げている。スロバキアのロベルト・フィツォ首相も難民殺到の収容問題で「わが国はキリスト教徒の難民しか受け入れない」と宣言。ハンガリーのビクトル・オルバン首相は「欧州のイスラム化を阻止すべきだ」と強調している、といった具合だ。欧州連合(EU)の東欧加盟国はイスラムの北上に強い不安と恐怖を感じている。

 オーストリアは冷戦時代、200万人以上の難民を受け入れ、「難民収容国家」と呼ばれたが、同国は今日、中東・北アフリカから殺到するイスラム系難民の受け入れや不法移民に対して欧州で最も厳格な国になろうとしているわけだ。