キリスト教はユダヤ教を土台として始まった宗教だ。西暦7世紀にはイスラム教が生まれてきた。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教はいずれも唯一神教だが、歴史の流れの中で少しずつ、その相違が明らかになっていった。
南北に分割された後生き延びた南朝ユダがペルシャの王クロスの恩寵を受けてエルサレムに帰還した後、律法を中心とした今日のユダヤ教が誕生した。
2000年前にユダヤ社会に生まれたイエスは選民ユダヤ民族から受け入れられず、十字架上で亡くなったが、復活後、その福音の教えはローマに伝えられ、392年にローマでキリスト教は国教と認められ、世界に拡大されていった。1054年のシグマ、15、16世紀の宗教改革を経て、今日、カトリック教会を頂点にキリスト教は約300のグループに分かれていった。
一方、570年頃に生まれたムハンマドは神の啓示を受け、その教えを伝えていくが、メッカから追放された後、その教えは戦闘的となっていく。ムハンマドの後継者問題がきっかけでスンニ派とシーア派に分裂していったのは周知の事実だ。
ユダヤ教の「ヤウエ」、キリスト教の「父」、そしてイスラム教の「アラー」もその表現は異なるが、3大唯一神教はこの宇宙を含む森羅万象を創造した神を崇拝し、偶像崇拝を忌み嫌い、多神教を否定してきた。
ユダヤ教徒はその教え「タルムード」に基づき、日常生活を律していくが、その教えを外の世界に宣教せず、ヤウエの教えを継承していくことにその重点を置く。キリスト教とイスラム教は、イエスの教え、ムハンマドの教えを宣教することを使命と考える。
伝統を堅持するユダヤ教徒は教育を、福音伝道のキリスト者は宣教、そしてイスラム教徒は結婚、出産を重視してきた。その結果、ユダヤ教徒は世界の経済・科学分野で圧倒的な影響力を保持し、キリスト教は世界にその版図を広げ、イスラム教は少子化で悩む欧州社会をしり目にその数を増やしている。
ところで、唯一神教を唱える3宗派の対話は可能だろうか。インスブルックの神学者パウル・ヴェス氏(Paul Wes) は3宗派の対話の可能性について、「各宗派がその絶対性請求権(Absolutheitsanspruch)を自己批判的に考えることができれば可能だ」と主張する。これは、同氏が独フライブルクの雑誌「現代のキリスト」に寄稿している内容だ。
ヴェス氏はその中でドイツ啓蒙思想の代表的知識人、劇作家のゴットホルト・エフライム・レッシング(1729〜1781年)の劇詩「賢者ナータン」に言及し、3大唯一神教の中で、「どの宗教が真理か」という問いを紹介している。
以下は「賢者ナータン」の話の概要だ。
劇詩の舞台は12世紀。当時の十字軍時代のエルサレムのスルタン、ザラディーンはユダヤ人の富豪で賢者の誉れ高かったナータンから軍事費を調達しようとして難問を出す。「ユダヤ教とキリスト教、イスラム教のどれが真実の宗教か」だ。
賢者のナータンは答えに窮した。その時、商人の家で代々、家宝の魔法の指輪を最愛の息子が譲り受けていた、という話を思い出し、ザラディーンに聞かす。
商人は3人の息子をいずれも愛していたから、家宝の指輪と模造した2つ指輪を準備し、3人の息子に与えた。父親の死後、3人の息子の間でいずれの指輪が本物かで戦いが起きた。息子たちは裁判に訴えた。
裁判官は、3つの指輪が見分けが付かないほど似ているのに気がつき、3人に「各々は自身の指輪を本物と信じるがよい、そうして本物の指輪が持つ魔法の助けを受け、誰からも愛されるようになるように努力せよ」と助言した。この寓話を聞いたザラディーンは納得し、ナータンから金を取ろうとした自分に恥じ入る。最後は、サラディーンを含む全ての関係者が親族関係だったことを知ってハッピーエンドを迎える。
神学者ヴェス氏は3つの指輪の話を紹介しながら、「この話は3宗派の対話の土台としては不十分だ。なぜならば、各宗派の絶対性要求に対する自己批判的視点が欠けているからだ」と指摘している。
ヴェス氏の見解は理解できる。しかし、自身の教えに批判的に向かいあうことは神学者にとっては可能かもしれないが、信仰者にとって非常に難しい要求ではないか。神学者とは異なり、信仰者は自身の教えの絶対性を確信するから信じるのであって、絶対性への自己批判からではないからだ。
南北に分割された後生き延びた南朝ユダがペルシャの王クロスの恩寵を受けてエルサレムに帰還した後、律法を中心とした今日のユダヤ教が誕生した。
2000年前にユダヤ社会に生まれたイエスは選民ユダヤ民族から受け入れられず、十字架上で亡くなったが、復活後、その福音の教えはローマに伝えられ、392年にローマでキリスト教は国教と認められ、世界に拡大されていった。1054年のシグマ、15、16世紀の宗教改革を経て、今日、カトリック教会を頂点にキリスト教は約300のグループに分かれていった。
一方、570年頃に生まれたムハンマドは神の啓示を受け、その教えを伝えていくが、メッカから追放された後、その教えは戦闘的となっていく。ムハンマドの後継者問題がきっかけでスンニ派とシーア派に分裂していったのは周知の事実だ。
ユダヤ教の「ヤウエ」、キリスト教の「父」、そしてイスラム教の「アラー」もその表現は異なるが、3大唯一神教はこの宇宙を含む森羅万象を創造した神を崇拝し、偶像崇拝を忌み嫌い、多神教を否定してきた。
ユダヤ教徒はその教え「タルムード」に基づき、日常生活を律していくが、その教えを外の世界に宣教せず、ヤウエの教えを継承していくことにその重点を置く。キリスト教とイスラム教は、イエスの教え、ムハンマドの教えを宣教することを使命と考える。
伝統を堅持するユダヤ教徒は教育を、福音伝道のキリスト者は宣教、そしてイスラム教徒は結婚、出産を重視してきた。その結果、ユダヤ教徒は世界の経済・科学分野で圧倒的な影響力を保持し、キリスト教は世界にその版図を広げ、イスラム教は少子化で悩む欧州社会をしり目にその数を増やしている。
ところで、唯一神教を唱える3宗派の対話は可能だろうか。インスブルックの神学者パウル・ヴェス氏(Paul Wes) は3宗派の対話の可能性について、「各宗派がその絶対性請求権(Absolutheitsanspruch)を自己批判的に考えることができれば可能だ」と主張する。これは、同氏が独フライブルクの雑誌「現代のキリスト」に寄稿している内容だ。
ヴェス氏はその中でドイツ啓蒙思想の代表的知識人、劇作家のゴットホルト・エフライム・レッシング(1729〜1781年)の劇詩「賢者ナータン」に言及し、3大唯一神教の中で、「どの宗教が真理か」という問いを紹介している。
以下は「賢者ナータン」の話の概要だ。
劇詩の舞台は12世紀。当時の十字軍時代のエルサレムのスルタン、ザラディーンはユダヤ人の富豪で賢者の誉れ高かったナータンから軍事費を調達しようとして難問を出す。「ユダヤ教とキリスト教、イスラム教のどれが真実の宗教か」だ。
賢者のナータンは答えに窮した。その時、商人の家で代々、家宝の魔法の指輪を最愛の息子が譲り受けていた、という話を思い出し、ザラディーンに聞かす。
商人は3人の息子をいずれも愛していたから、家宝の指輪と模造した2つ指輪を準備し、3人の息子に与えた。父親の死後、3人の息子の間でいずれの指輪が本物かで戦いが起きた。息子たちは裁判に訴えた。
裁判官は、3つの指輪が見分けが付かないほど似ているのに気がつき、3人に「各々は自身の指輪を本物と信じるがよい、そうして本物の指輪が持つ魔法の助けを受け、誰からも愛されるようになるように努力せよ」と助言した。この寓話を聞いたザラディーンは納得し、ナータンから金を取ろうとした自分に恥じ入る。最後は、サラディーンを含む全ての関係者が親族関係だったことを知ってハッピーエンドを迎える。
神学者ヴェス氏は3つの指輪の話を紹介しながら、「この話は3宗派の対話の土台としては不十分だ。なぜならば、各宗派の絶対性要求に対する自己批判的視点が欠けているからだ」と指摘している。
ヴェス氏の見解は理解できる。しかし、自身の教えに批判的に向かいあうことは神学者にとっては可能かもしれないが、信仰者にとって非常に難しい要求ではないか。神学者とは異なり、信仰者は自身の教えの絶対性を確信するから信じるのであって、絶対性への自己批判からではないからだ。
人間の感情と虚飾の知能的自然支配欲に、疑問を持つ時。
人間の感情的道徳以前に、自然気流の生命的基礎法則があるのではないか。
宗教にも自然の黄金比を発見することで、その揺らぎをもって人間文化の美とすることではないか。美の理は、すべての要素の割合にあるのではないか。
国家としての権威を持つべきところと、国民の平穏と自由と権利の範囲のようなものです。
自然から人間を通過して流動する生命により、心身も文化も調和します。
それが認められないうちは、それぞれの人間の解釈から成り立つ不揃いの宗教以上になにも進展せず、賢者ナータンのような悩みが尽きることは有りません。
宇宙に遍満する気学の真理は、科学の進歩と人間の理知向上の両方からやってきて結びつきます。
現在の中国情勢は宗教的ハルマゲドンでもあるのでしょうか、精神主義と現実主義の最終戦争で、論争の段階で終わることを願っています。