2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロの政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害し、21年の禁固刑を受け収監中のアンネシュ・ブレイビク受刑者(37)は20日、オスロの裁判所から「長年、独房だったことは受刑者の人権を蹂躙し、人権宣言の内容に違反する点もある」という趣旨の判決を受けた。ただし、外部との通信要求は退けられた。

 ブレイビク受刑者は「独房はやり切れない」と主張、オスロの裁判に訴えてきた。それに対し、当局側は「囚人は非常に危険な人間だ。囚人の収監状況は人権宣言にも一致する」と説明してきた。

 ブレイビク受刑者はほぼ5年間、独房生活だった。その結果、頭痛、集中力散漫、無気力に悩まされてきたという。独房は31平方メートル、寝室、仕事、スポーツの3部屋があり、1台のテレビ、インターネットの接続がないコンピューター、そしてゲームコンソールがある。食事と洗濯は自分でやり、外部との接触が厳しく制限されている。郵便物は検閲されてきた。

 判決文では、ブレイビク受刑者の訴えに一定の理解を示し、「囚人の収監状況は人権宣言第3条に違反している点がある」として改善を求める一方、裁判コスト約3万6000ユーロは国が支払うべきと記している。


 ブレイビク受刑者の犯行は当時、世界に大きな衝撃を投じた。受刑者は犯行直後から、「行動は残虐だったが、必要だった」「信念がある1人の人間は自身の利益だけに動く10万人に匹敵する」と豪語し、自身の行動を弁明し、犯行を悔い改めることはなかった。
 ウトヤ島の乱射事件から逃れた少女は、「犯人は非常に落ち着いていた。そして撃った人間がまだ死んでいないと分ると、何度も撃って死を確認していた」という。容疑者はまるでその使命を果たすように冷静に蛮行を重ねていった。
 ブレイビク受刑者は、「政府庁舎前の爆弾テロで時間を取り、計画が遅れてしまった。そうでなかったならば、もっと多くの人間を射殺できたはずだ」と語ったという。


  犯行後、受刑者が書き記した1516頁に及ぶ「欧州の独立宣言」がインターネット上に掲載されたが、犯行は2年前から計画されていた。
 ブレイビクの両親は離婚し、外交官だった父親はフランスに戻った。ブレイビクは少年時代、父親に会いたくてフランスに遊びに行ったが、父親と喧嘩して以来、両者は会っていない。容疑者はオスロの郊外で母親と共に住み、農場を経営する独り者だ。両親の離婚後、ブレイビクは哲学書を読み、社会の矛盾などに敏感に反応する青年として成長していった。
  ブレイビク受刑者の世界は「オスロの容疑者の『思考世界』」(2011年7月26日)と「愛された経験のない人々の逆襲」(2011年7月27日)のコラムの中で詳細に紹介したので関心ある読者は再読をお願いする。

  なお、ノルウエー政府は犯行現場となったウトヤ島に犠牲者の慰霊碑を建立する計画だ。慰霊碑には全ての犠牲者の名前を記すという。同島の自治体ホール(Hole)の住民は犯行を常に思い出させる慰霊碑の建立には反対を表明している。