ファンにとって待ちに待った映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」が18日、遂に公開された。「エピソード6/ジェダイの帰還」(1983年)以来で、新作はジョージルーカス監督ではなく、J・J・エイブラムス監督が挑戦した作品だ。宇宙を舞台とした「スター・ウォ―ズ」の書割は同じだが、主人公は砂漠の惑星に住むレイだ。

 バチカン放送独語電子版は「新作のスター・ウォーズは神話を再び覚醒した」と珍しく映画評を掲載している。それによると、マーク・ハミルが演じるルーク・スカイウォーカーは救世主であり、銀河系の正義と自由の守護神ジェダイは正義の騎士たちだ。「スター・ウォーズ」の世界は聖書の世界を反映しているというのだ。

 「スター・ウォ―ズ」のプロットだけではない。われわれは常に「正義の味方」の登場を願ってきた。当方が幼いころ、日本では「月光仮面」の叔父さんが頑張っていたし、時代劇の中では「鞍馬天狗」が活躍していた。彼らは貧しい人々を苦しめる悪者をやっつけてくれる代表だった。大多数の願望に支えられた「正義の味方」はどの時代、どの国でも人気があるものだ。

 「スター・ウォ―ズ」の新作をまだ見ていないので、「正義の味方」について一般論を展開させたい。大多数の「正義の味方」は目に見える敵、悪者に対して戦いを挑む。悪大名や犯罪組織などだ。だから、勝敗は明確だ。「正義の味方」が悪者をやっつければ決着がつく。枠組みがシンプルだから、誰でも感動しやすい。欧米ではスパイダーマン、バットマン、古くはスーパーマンだ。

 一方、「スター・ウォ―ズ」のように、悪者は目に見えないが、全てをコントロールし、それを支配下に置く存在だ。キリスト教のサタンと呼ばれる時空を超えた悪魔との戦いの場合、通常の「正義の味方」のように勝敗を明確に決着つけることは出来ない。せいぜい、引き分けか、相手を諦めさせて撤退させる程度の勝利しか期待できない。もちろん、悪者は再び戻って来る。

 「ジェダイの帰還」を思い出してほしい。ルークはダース・ベイダーとの戦いでは光線剣(ライトセーバー)で戦うことを断念する。暴力によっては相手を屈服できないことを知ったからだ。最後はベイダーが改心する。ルークが単なる「正義の味方」ではなく、キリスト教の救世主を彷彿させる瞬間という。「スター・ウォ―ズ」は単なる勧善懲悪の世界を描いた映画ではないわけだ。

 少し飛躍するが、通常の戦争とは違い、宗教的背景が絡んだ戦争の場合、勝敗は単に相手を殺害することでは決着つかない。相手を自身の世界にひき入れ、改宗させてこそ勝利となる。相手をやっつけ、その領土や財物を奪ったとしても勝利者とはなれないのだ。

 21世紀の現実の世界に戻ってみる。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)を壊滅させたとしても、同じようなテロ組織がどこかで生まれてくるだろう。ISのテロリストを改心させない限り、世界はテロ戦争を終わらせることができないのだ。
 テロの温床となる社会的諸問題、貧富の格差などを包括的に解決しない限り、テロはいつでも再生してくる。現代の「正義の味方」の課題が如何に困難であり、複雑か、想像できるだろう。