16日の産経新聞電子版のモスクワ発特派員記事には、仏週刊紙テロ事件に対する興味深いロシア側のメディアの反応が報じられていた。それによると、ロシアの主要メディアは、「言論の自由がテロを招いた」という論調が強く、テロに遭った仏週刊紙に対しては、「風刺やユーモアではなく、冒涜と愚弄、醜聞で稼ごうという気持ちだ」と酷評したという。そして、「欧州は伝統的価値観から逸脱し、堕落した」「ロシアは道徳的優位にあり、保守主義こそが混沌を防ぐ」というロシア政権の基本的立場を擁護している。

 冷戦時代、旧ソ連共産党政権は欧米文化を常に批判してきた。例えば、「わが国にはエイズは存在しない。エイズは堕落した欧米文化の所産だ」といった主張が良く聞かれたものだ。旧ソ連邦の後継国ロシアでもプーチン大統領は同性愛問題で同じような主張を繰り返している。ロシアでは1993年まで同性愛は犯罪と受け取られ、99年までは精神病者と考えられた。2013年から同性愛を広げるプロパガンダは法的に禁止された。それに対し、欧米諸国から一斉に批判が飛び出したことはまだ記憶に新しい。

 また、モスクワの救世主キリスト教会内で「反プーチン」ソングを歌い、踊った3人の女性パンクバンドに対し、有罪判決が下されたことがある。その罪状は正教徒が崇拝する聖堂の冒涜行為だった。欧米諸国ではその時も女性パンクバンドを擁護し、プーチン政権の人権蹂躙を批判する声が強かった。
 ちなみに、信者の宗教感情への冒涜に対し、2012年実施された世論調査では、ロシア国民の約49%は信者の宗教心を傷つけた場合、厳罰に処すべきだと考え、反対は約34%だった。

 同性愛問題や宗教感情問題をみても、ロシアと欧米諸国の対応は明らかに異なっている。そして今回の仏週刊紙テロ事件の引き金ともなったイスラム教の預言者への風刺、罵倒に対しても、産経新聞が報じたように、ロシアのメディアの反応は「言論の自由」の擁護といった観点ではなく、「言論の自由」の逸脱、堕落という観点から欧米文化を批判しているわけだ。その背後には、ロシア側には「わが国は欧米社会より道徳的優位にある」という認識が強いことだ。

 それでは、欧米文化に対するロシア人の「道徳的優位感」はどこから起因するのだろうか。旧ソ連時代は戦力的観点から欧米敵国へのプロパガンダの性格が強かったが、その優位感は今なお、ロシア人の心の中に生きているとすれば、それは過去の単なる残滓か、それとも明らかな理由があるのだろうか。

 キリスト教は1054年、東西両教会に分裂(大シスマ)した。現在のロシアには東方教会が伝達され、ロシア正教会が広がっていった。欧米社会では、キリスト教会はその生命力を失って久しいが、東方教会のロシア正教は共産政権時代の負の遺産からようやく立ち上がり次第に蘇ってきている。近い将来、キリスト教の再福音化の槌音がロシアから響いてくる、と予言する学者がいるほどだ。

 欧米の民主主義世界から見た場合、ロシアでは人権、言論の自由はまだ十分ではないといった印象を払拭できない。共産政権下の閉ざされた社会で生きてきた国民は今日、インターネットの普及で情報が自由に享受できる社会で生活している。それに呼応して、国民は人権、言論の自由への認識を拡大してきた。それに対し、「宗教はアヘン」という無神論世界観で成長したプーチン大統領は、国民の宗教心を称賛し、愛国心を鼓舞することで反プーチン勢力に対抗する一方、キリスト教価値観を失ってきた欧米社会に対しては、「道徳的優位」のプロパガンダを広げている、といえるかもしれない。