ボスニア・ヘルツェゴビナ北部やセルビア共和国で120年ぶりといわれる大豪雨に見舞われ、これまで判明しただけでも44人が犠牲となった。ボスニアでは約100万人の国民が直接、間接的な被害を受けた。

 オーストリア国営放送のニュース番組で24日、バレンティン・インツコ・ボスニア上級代表が被害状況を報告していた。上級代表は「被害地では今も電気がなく、飲料水もない。家を失ったり、家財を失った数は100万人になるだろう。欧州諸国や民間機関からの救援物質が届けられている」という。

 上級代表は「ボスニア紛争では、イスラム教徒か、カトリック信者か、セルビア正教徒かで争いをしてきた。しかし現在、その3民族が相互に助け合い、救援物質を感謝して分け合っている。大豪雨は大きな被害をもたらしたが、ボスニアの3民族間の壁が壊れ、和合の兆候が見られてきた」と報告している。

 ボスニアは1995年12月、デートン和平協定後、イスラム系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」とに分裂し、各国がそれぞれ独自の大統領、政府を有する国体となった。

 ボスニア紛争は死者20万人、難民、避難民、約200万人を出した第二次大戦後最大の欧州の悲劇だった。イスラム系、クロアチア系、セルビア系の戦いは終わったが、デートン和平協定が締結された後も民族間の和解からは程遠く、「冷たい和平」(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)の下で、民族間の分割が静かに進行してきていた。

 ところで今年2月、失業と貧困に抗議した国民の反政府デモがボスニア33都市で行われた。騒動の発端は、同国北東部のツズラ市で5日、5か所の国営企業が民営化後、倒産し、約1万人の労働者が職を失ったことから、自治体政府への不満が高まった。
 民族紛争で争ってきた3民族が社会的閉塞感の克服を求めて立ち上がってきたわけだ。上級代表は「2月のデモは国民の意識が政治的、民族的束縛から解放されてきたことを示している」とポジティブに分析する。
 
 インツコ上級代表は最後に、「今回の大災害はボスニア復興のチャンスとなるかもしれない。政治家や関係当局は過去、政治的・民族的な理由から機能しなかったが、ここにきて動き出してきた。大雨は民族の境界線に関係なく降り注いだが、同じように救援活動も民族間の境界線を超えて行われている。イスラム系の住民がセルビア系村を支援し、カトリック教会が強い地域の住民がイスラム系住民を支援しているのだ」と証言する。

 民族紛争、そして120年ぶりの豪雨、洪水と困難が続くが、その試練を乗り越えてボスニアの3民族間の和合が進められることを期待する。