「ウィーンで山茶花(サザンカ)を見たことがある?」と妻に聞いた。
 「見たことはないわ」という。
 「椿を見たことがある?」と聞くと
 「椿も見ないわね」という。

 なぜ、突然、山茶花と椿の花のことを書いたかというと、東京の友人記者がコラム欄で「山茶花と椿は区別が難しい」と書いていたからだ。

 そこで早速、検索でサーチしてみたら、友人記者が書いたように、「2つの花はよく似ている」「山茶花は椿属だが、椿とは呼ばない」とわざわざ説明されているところをみると、両者は瓜二つなのだろう。
 写真を見たが、確かに似ている。少し時期はずれるが、冬には山茶花も椿も同時に観賞できるという。友人記者の「区別がつかない」という嘆きが飛び出すわけだ。

 更にサーチしていると、両者には一つ、明らかに違う点があることを知った。山茶花は花びらを一つ一つ散らすが、椿は花びらではなく、丸ごと落ちるという。すなわち、2つの花の最期の姿が異なるわけだ。

 ちなみに、日本人の国花、桜が愛されるのは、短い時期にパッと咲き、満開後はさっと散っていく、桜の潔い生涯が日本人の心を捉えるからだ、とどこかで読んだことがある。

 「桜の樹の下には」という梶井基次郎の名短編があるが、日本人は花や樹にさまざまな思いの世界を投影してきた。

 近くに花屋さんはあるが、最近、花を買った覚えがない。花屋の主人とはほぼ毎朝、挨拶はするが、自分が余り良い客でないので、挨拶をするのも気が引けるようになったほどだ。

 欧州人も花を愛する点で日本人に負けていない。友人や知人を訪問する時は花をプレゼントする人が多い。窓側に小さな花を飾っている家も多い。最近はサボテンが愛されているという。世話がしやすく、長く生きるからだ。ちなみに、オーストリアの国花はエーデルワイスだ。

 友人記者のように、欧州の花をテーマとしたコラムを書いてみたいが、花の名前すらよく知らないので筆が動き出さない。名前も知らずにどうして花を愛することができるだろうか。無知からは如何なる情緒も生まれない。

 そういえば、人類の始祖アダムが最初にした“仕事”は万物に名前を付けることだった。名前を付け、その名前で呼ぶことから情が動き出す。親は生まれた子供に名前を付けて初めて子供に情が向く。

 当方はこれまで3000余りのコラムが書いてきたが、花についてのコラムは片手で数えられるほどしかない。友人記者は数多くの花や自然観賞のコラムを書いている。最近は、そのことを本当に羨ましく思うようになった。