韓国聯合ニュース日本語版は15日、「日本の安倍晋三首相が『「中国はとんでもない国だが、まだ理性的に外交ゲームができる。一方、韓国はただの愚かな国だ』と語った」と報じ、同首相を批判している。発言内容は週刊文春最新号が安倍首相の周辺人物の言葉として報じたものだが、その真偽は不明だ。
▲中国共産党政権のチベット人弾圧を訴える亡命チベット人たち(2012年2月8日 ウィーン市内で撮影)
19日には、韓国外交部の趙泰永報道官が、伊藤博文を暗殺した韓国独立運動家、安重根の石碑建立が中国で進められていることと関連し、「日本の菅義偉官房長官が安重根を犯罪者と呼んだ」と批判した。趙報道官は「安重根はわが国の独立と東洋の平和のために命を捧げた」と説明し、菅官房長官の「犯罪者」発言に遺憾の意を表明した。
上記の2件は韓国と「正しい歴史認識」で対立する日本の政治家の発言だが、次は、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が19日、訪問先の日本でチベット仏教僧の焼身自殺事件について、「自分の最も大切な命を他の人のために投げ出し、世の中の不条理を問いかけた素晴らしい行為だ」と称えたという(産経新聞19日電子版)。
当方は3人の発言を聞いて、その内容ではなく、その表現に少なからずショックを受けた。安倍首相が隣国を馬鹿呼ばわりしたとすれば、、隣国に対して礼が欠ける。ブロガーは許されたとしても、日本首相は隣国を馬鹿呼ばわりしてはならない。韓国側の言動がたとえ理性にかけ、馬鹿らしくても、日本の首相は相手に礼をつくす品位と度量を示すべきだ。同じレベルで誹謗合戦をすべきではない。われわれ国民はどのような状況下でも品位を保つ首相を誇りとするからだ。
また、管官房長官の「犯罪者発言」も適当な表現ではない。日本国民から見たら、伊藤博文を暗殺した安重根は犯罪者だが、安重根の出身国・隣国では民族の英雄だ。国が違えば、テロリストも国家の英雄であり、英雄もテロリストになる。そんなことは管官房長官はご存知だろう。
身近な例を挙げてみる。南アフリカのネルソン・マンデラ氏は反アパルトヘイト運動時代はテロリストだった。パレスチナのヤーセル・アラファト氏もイスラエル人からみれば憎きテロリストだったが、パレスチナ側からいえば、民族解放の英雄だ、といった具合だ。国が違えばその歴史的評価は180度異なる。安倍政権担当の官房長官は相手国を不必要に刺激する表現は避けるべきだった。
宗教指導者のダライ・ラマ14世が焼身自殺を称賛したとすればやはり問題だ。命は与えられたものであり、それを自身で破壊することは宗教家である以上、どのような事情があっても認めるべきではない。それを「素晴らしい行為」と称賛したのだ。
ただし、安倍首相、管官房長官、そしてダライ・ラマ14世の発言の背景を考えれば、それなりの事情はある。安倍首相は就任以来、隣国からは反日発言ばかり聞かされてきた。隣国を馬鹿呼ばわりしたくなる心情は分かる。管官房長官も同じだ。また、ダライ・ラマ師の発言の背後には、チベット文化を弾圧する中国共産党政権への怒りが溢れていたことだろう。
政治家、宗教指導者といっても感情を抑えることは難しい。しかし、怒りや恨みから飛び出した言葉は怖い。自分だけではなく、相手にも取り返しのつかない傷を与える危険性があるからだ。指導者は、やはり、言葉を制すべきだ。
▲中国共産党政権のチベット人弾圧を訴える亡命チベット人たち(2012年2月8日 ウィーン市内で撮影)
19日には、韓国外交部の趙泰永報道官が、伊藤博文を暗殺した韓国独立運動家、安重根の石碑建立が中国で進められていることと関連し、「日本の菅義偉官房長官が安重根を犯罪者と呼んだ」と批判した。趙報道官は「安重根はわが国の独立と東洋の平和のために命を捧げた」と説明し、菅官房長官の「犯罪者」発言に遺憾の意を表明した。
上記の2件は韓国と「正しい歴史認識」で対立する日本の政治家の発言だが、次は、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が19日、訪問先の日本でチベット仏教僧の焼身自殺事件について、「自分の最も大切な命を他の人のために投げ出し、世の中の不条理を問いかけた素晴らしい行為だ」と称えたという(産経新聞19日電子版)。
当方は3人の発言を聞いて、その内容ではなく、その表現に少なからずショックを受けた。安倍首相が隣国を馬鹿呼ばわりしたとすれば、、隣国に対して礼が欠ける。ブロガーは許されたとしても、日本首相は隣国を馬鹿呼ばわりしてはならない。韓国側の言動がたとえ理性にかけ、馬鹿らしくても、日本の首相は相手に礼をつくす品位と度量を示すべきだ。同じレベルで誹謗合戦をすべきではない。われわれ国民はどのような状況下でも品位を保つ首相を誇りとするからだ。
また、管官房長官の「犯罪者発言」も適当な表現ではない。日本国民から見たら、伊藤博文を暗殺した安重根は犯罪者だが、安重根の出身国・隣国では民族の英雄だ。国が違えば、テロリストも国家の英雄であり、英雄もテロリストになる。そんなことは管官房長官はご存知だろう。
身近な例を挙げてみる。南アフリカのネルソン・マンデラ氏は反アパルトヘイト運動時代はテロリストだった。パレスチナのヤーセル・アラファト氏もイスラエル人からみれば憎きテロリストだったが、パレスチナ側からいえば、民族解放の英雄だ、といった具合だ。国が違えばその歴史的評価は180度異なる。安倍政権担当の官房長官は相手国を不必要に刺激する表現は避けるべきだった。
宗教指導者のダライ・ラマ14世が焼身自殺を称賛したとすればやはり問題だ。命は与えられたものであり、それを自身で破壊することは宗教家である以上、どのような事情があっても認めるべきではない。それを「素晴らしい行為」と称賛したのだ。
ただし、安倍首相、管官房長官、そしてダライ・ラマ14世の発言の背景を考えれば、それなりの事情はある。安倍首相は就任以来、隣国からは反日発言ばかり聞かされてきた。隣国を馬鹿呼ばわりしたくなる心情は分かる。管官房長官も同じだ。また、ダライ・ラマ師の発言の背後には、チベット文化を弾圧する中国共産党政権への怒りが溢れていたことだろう。
政治家、宗教指導者といっても感情を抑えることは難しい。しかし、怒りや恨みから飛び出した言葉は怖い。自分だけではなく、相手にも取り返しのつかない傷を与える危険性があるからだ。指導者は、やはり、言葉を制すべきだ。
もはや「ちょっとオイタが過ぎるね♪」と、たしなめて済むレベルではありません。
いかに怒りや憎しみがあっても、「殺人」が超えてはいけない一線であると同様、韓国には超えてはいけない一線があった。しかし、パククネ政権が軽々と超えてしまった。
だから、韓国は神の摂理を外され、没落・破滅へとまっしぐらに進む事になってしまったのです。元々は救世主の生まれた国として、栄光に浴する事もできた国なのに。
これから先の韓国の運命は、余りに悲惨であり、残念な事です。