駐オーストリアの金光燮・北朝鮮大使(金正恩第1書記の義理の叔父)は今年3月、大使就任20年目を迎えた。国連では最近見かけることがなくなったが、金大使は外交官パーティや親北関連機関の訪問など、地道な外交活動をしているという。

▲ウィーン市庁舎(2013年4月26日撮影 )
金大使の就任後から今日までの経緯についてはこのコラム欄で紹介済みだから省略する(「政変を生き延びてきた北大使の話」2013年1月14日参考)。
ところで、20年間も同じポストに就いているのは金大使ぐらいだろうと思っていたが、そうではなかった。音楽の都ウィーン市のミヒャエル・ホイプル市長(63)も24日、ウィーン市社会民主党党首(1993年)に就任して20年目を迎え、見本市会場で20年祝賀会が党幹部、友人、知人ら約1000人のゲストを集めて挙行さればかりだ。

▲美しき青きドナウ(2013年4月26日撮影)
20年間といえば、2昔前だ。その間、社民党トップにつき、4年毎に実施される市議会選に勝利を重ねていくことは並大抵のことではない。政治手腕だけではなく、それなりの人望が求められる。その意味で、ホイプル市長の功績を評価せざるを得ない。ちなみに、1994年11月以来、ウィーン市長だ。来年は市長就任20年目を迎える。
参考までに、ウィーン市議会は戦後1945年から今日まで社民党(前社会党)が政権を掌握してきた。だから、ウィーン市は「赤の砦」と呼ばれ、低迷する社民党の最後の砦だ(前回の市議会選で過半数を掌握できなかったので「緑の党」と連立政権を樹立し、今日に到る)。
ウィーン市は戦後、急速に世界の観光都市の地位を確立すると共に、30以上の国際機関の本部、事務局を誘致し、国際会議の開催地としてその名を広げてきた。その一方、市の治安は他の欧州都市と比較すると、安全だ。外国人問題やイスラム教問題などがメディアを賑わすこともあるが、全般的にいえば、ウィーン市の政情は安定している。
独語にアンゲネームという言葉がある。快さだ。ウィーン市民はアンゲネームをこよなく大切にする。議論好きなドイツ人とは違い、相手を議論で負かすことを好まない。まあまあ、といった状況を大切にする。だから、批判的な人間は消化不良になってしまう。
その一方、知らない人(外国人)に心を広げるのには時間がかかる。だから、「ハイ!」と声をかけ、直ぐに友達になる米国人はオーストリアでは生き延びることが大変だ。
そのウィーン市でホイプル市長も金大使も20年間、同じポストを維持してきたのだ。アンゲネームと曖昧さを愛するウィーン市民の気質が両者の性格に合っているのかもしれない。

▲ウィーン市庁舎(2013年4月26日撮影 )
金大使の就任後から今日までの経緯についてはこのコラム欄で紹介済みだから省略する(「政変を生き延びてきた北大使の話」2013年1月14日参考)。
ところで、20年間も同じポストに就いているのは金大使ぐらいだろうと思っていたが、そうではなかった。音楽の都ウィーン市のミヒャエル・ホイプル市長(63)も24日、ウィーン市社会民主党党首(1993年)に就任して20年目を迎え、見本市会場で20年祝賀会が党幹部、友人、知人ら約1000人のゲストを集めて挙行さればかりだ。

▲美しき青きドナウ(2013年4月26日撮影)
20年間といえば、2昔前だ。その間、社民党トップにつき、4年毎に実施される市議会選に勝利を重ねていくことは並大抵のことではない。政治手腕だけではなく、それなりの人望が求められる。その意味で、ホイプル市長の功績を評価せざるを得ない。ちなみに、1994年11月以来、ウィーン市長だ。来年は市長就任20年目を迎える。
参考までに、ウィーン市議会は戦後1945年から今日まで社民党(前社会党)が政権を掌握してきた。だから、ウィーン市は「赤の砦」と呼ばれ、低迷する社民党の最後の砦だ(前回の市議会選で過半数を掌握できなかったので「緑の党」と連立政権を樹立し、今日に到る)。
ウィーン市は戦後、急速に世界の観光都市の地位を確立すると共に、30以上の国際機関の本部、事務局を誘致し、国際会議の開催地としてその名を広げてきた。その一方、市の治安は他の欧州都市と比較すると、安全だ。外国人問題やイスラム教問題などがメディアを賑わすこともあるが、全般的にいえば、ウィーン市の政情は安定している。
独語にアンゲネームという言葉がある。快さだ。ウィーン市民はアンゲネームをこよなく大切にする。議論好きなドイツ人とは違い、相手を議論で負かすことを好まない。まあまあ、といった状況を大切にする。だから、批判的な人間は消化不良になってしまう。
その一方、知らない人(外国人)に心を広げるのには時間がかかる。だから、「ハイ!」と声をかけ、直ぐに友達になる米国人はオーストリアでは生き延びることが大変だ。
そのウィーン市でホイプル市長も金大使も20年間、同じポストを維持してきたのだ。アンゲネームと曖昧さを愛するウィーン市民の気質が両者の性格に合っているのかもしれない。