中国の思想家荘子の著書に「知魚楽」(「魚の楽しみ」を知る)という言葉があったと記憶する。水の中を泳ぐ魚の楽しみを知るという意味だが、魚ではない人間が魚の感情を共有することが可能かで荘子は恵子と議論する話は良く知られている。

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▲市内を走るフィアカー(2013年4月24日撮影)

 当方はフィアカー(観光馬車、通常は2頭立て)を見るたびに「魚の楽しみ」という日本語を思い出し、フィアカー(Fiaker)の馬に近づきながら「ねー、君も楽しみがあるだろう」と問いかけながら、「(フィアカーの)馬の楽しみ」を考える。

 音楽の都ウィーンも4月後半に入りようやく春を迎えた。旅行者の姿も増えてきた。ウィーン市1区のシュテファン大聖堂の脇にはフィアカーが旅行者を待っている。2頭の馬が硬いアスファルトの上を客をのせて市内の名所旧跡を回る。その側を車が走って行く。馬が車を見て恐れないように、両サイドを目隠しながら走る。だから、前方しか見えない。

 当方はフィアカーを見るたびに、心臓発作で即死したフィアカーの馬のことを思い出す。急死した馬は走り出した瞬間だった。1頭が突然、倒れた。御者もビックリした。翌日の新聞には「フィアカーの馬が心臓発作で亡くなった」と報じられていた。その記事を読んでからだ。当方は「(フィアカーの)馬の楽しみ」を考え出した。老体を酷使しながら市内を走っていた馬にも必ず楽しみがあったはずだ、と思いたいからだ(「フィアカーの馬の突然死」2007年10月23日参考)。
 
 どのような環境下でも楽しみ、喜びを見出していくのが人間だ。独房に収容された死刑囚も壁の上を歩くクモを見つけると、クモに語りかけるという。同じように、フィアカーの馬も走りながら何かを楽しみにしているのに違いない。荘子が「魚の楽しみ」を知るように、当方は「(フィアカーの)馬の楽しみ」を知りたいと思っている。