スティーブン・スピルバーク監督のアカデミー賞7部門を獲得した作品「シンドラーのリスト」(1993年作)を観られた読者も多いだろう。ドイツ人の実業家オスカー・シンドラーが1200人以上のユダヤ人たちを救済した物語は良く知られている。

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▲“イタリアのシンドラー”と呼ばれるジョバニ・パラトゥチ(ウィキぺディアから)

 ところで、イタリアに「イタリアのシンドラー」と呼ばれるユダヤ人の救済者ジョバニ・パラトゥチ(Giovanni Palatucci)がいることをバチカン放送独語電子版で初めて知った。同氏の話は「戦火の奇跡」(2002年作)で映画化されたというが、残念ながら当方は観ていない。バチカン放送の記事をもとに、“イタリアのシンドラー”と呼ばれた人物を読者に紹介する。

 彼は1909年3月31日、イタリア南部のモンテラで生まれ、公安担当の主任警部として働いていた。そしてユダヤ人の救済活動に従事していたとしてナチス親衛隊(SS)に逮捕され、トリエステの刑務所からダッハウ強制収容所に送られ、1944年10月22日、収容所解放直前に36歳の若さで死去している。

 1930年に兵役に着き、イタリアのファシスト党に入党。トリノで法律学を学び、博士号を修得。自発的に公安担当の副警部として勤務。その後、イストリアのフィウーメ(現リエカ市)で警察長官となってから、イタリア国内のユダヤ人迫害の現状を知る。そこで叔父、司教たちと連携して収容所のユダヤ人の救済に力を入れだす。

 フィウーメがナチス政権に占領された後、彼は関係書類を破棄するなどをしてユダヤ人を救済していく。救済されたユダヤ人の正確な数字はないが、最大5000人以上になるのではないかと推測されている。
 1944年9月に入ると、彼のユダヤ人救済活動がナチス親衛隊に知られて、逮捕され、強制収容所に拘束され、そこで死去した。同氏はイスラエルでは「ユダヤ民族の救済者」(The Rescuers)として称賛され、カトリック教会からは故ヨハネ・パウロ2世が創設した1万2692人から成る「20世紀の殉教者たち」のリストの中に入れられ、列副されている。
 なお、バチカン放送はジョバニ・パラトゥチを「義務と良心」の男と評している。