南米教会出身のローマ法王フランシスコはバチカン銀行(IOR)の監視委員会メンバー、タルチジオ・ベルトーネ国務省長官ら5人の枢機卿への追加報酬金、年2万5000ユーロをカットすると決定した。貧者の救済を叫ぶ法王は先ず、高額な報酬を受けている枢機卿への報酬カットを決めたわけだ。バチカンはこれで年間12万5000ユーロを節約できる。

▲ウィーン市の王宮の入口(2013年4月、撮影)
報酬金を削除された5人の枢機卿から不満や抗議の声は今のところ上がっていない。枢機卿は監視委の給料、月5000ユーロはこれまで通り支給されるという。
フランシスコ法王の報酬金削減決定を聞きながら、「適切な給料はどのようにして決まるか」を考えた。換言すれば、コンピューターのプログラマーの給料は看護師よりどうして高いのか、という問題だ。世界にはフェイスブック創設者マーク・ザッカ−バーグ氏のようにITミリオネアーがいる一方、1日10時間以上働いても生活費をまかなうことができない労働者が多数いる。両者の給料はどのようにして、誰が決めるのか。
資本主義経済システムでは「需要と供給」の原則が働く。その上、「付加価値」もでてくる。だから、多数の患者たちを手助けする看護師より、ゲーム・プログラムを作成するIT専門家の給料がその数倍であっても不思議ではないわけだ。ボストン・テロ事件の19歳の容疑者はソーシャル・ネットワークで最も関心のあることは「職業と金」と書いていたという。それは同容疑者が米資本主義社会から学んだことだ。
当方が住むアルプスの小国オーストリアでも今、銀行マネージャーの報酬問題がメディアの話題となっている。平均労働者の数十倍の報酬金を得る銀行マネージャーに対する一般国民の不満だ。メディアの攻勢に屈したように、ライフアイゼンバンク頭取は報酬金の一部を銀行に戻すと記者会見で発表したばかりだ。
当方は墓場に葬られた共産主義思想の労働価値説を再び呼び起こしているのではない。付加価値を認めるし、価値は労働時間では決定しないことを知っている。人間の創造性は価値を生み出すからだ。
しかし、グローバルな世界では貧富の格差や銀行を含む金融機関の横暴に批判が高まってきている。2008年のリーマショックの際、米政府から救済措置(国民の税金)を受けた金融機関が今日、巨額の利益を挙げている。反ウォール街デモにみられるように、持つもの、富む者への批判が高まってきた。
富む者は昔のようにその富みを享受できなくなってきた。どうしてだろうか。社会には富む者だけが生活しているのならば問題ないが、彼らの側に貧しい者たちが喘いでいるからだ。
富む者は「私は家族を忘れて働いてきた。富はその報酬だ」と主張したとしても、貧しい者も「私も朝早くから働いている」というだろう。
プロ・テニスのスター選手だったボリス・ベッカー氏は優勝賞金が余りも多いマスター大会に対し、「それは非道徳的だ」と発言したことを思い出す。
富む者も貧しい者も考え出してきている。それは公平な富の分配だ。それは共産革命では実現できないことをわれわれは学んだばかりだ。
それではどうしたら富の公平な分配が実現できるか。公平な給料体制が確立されない限り、紛争もテロも続くだろう。われわれは英知を結集して公平な分配システムを構築しなければならない。世界的な神学者、ハンス・キュンク教授が「経済のエトス」の中で指摘している内容だ。

▲ウィーン市の王宮の入口(2013年4月、撮影)
報酬金を削除された5人の枢機卿から不満や抗議の声は今のところ上がっていない。枢機卿は監視委の給料、月5000ユーロはこれまで通り支給されるという。
フランシスコ法王の報酬金削減決定を聞きながら、「適切な給料はどのようにして決まるか」を考えた。換言すれば、コンピューターのプログラマーの給料は看護師よりどうして高いのか、という問題だ。世界にはフェイスブック創設者マーク・ザッカ−バーグ氏のようにITミリオネアーがいる一方、1日10時間以上働いても生活費をまかなうことができない労働者が多数いる。両者の給料はどのようにして、誰が決めるのか。
資本主義経済システムでは「需要と供給」の原則が働く。その上、「付加価値」もでてくる。だから、多数の患者たちを手助けする看護師より、ゲーム・プログラムを作成するIT専門家の給料がその数倍であっても不思議ではないわけだ。ボストン・テロ事件の19歳の容疑者はソーシャル・ネットワークで最も関心のあることは「職業と金」と書いていたという。それは同容疑者が米資本主義社会から学んだことだ。
当方が住むアルプスの小国オーストリアでも今、銀行マネージャーの報酬問題がメディアの話題となっている。平均労働者の数十倍の報酬金を得る銀行マネージャーに対する一般国民の不満だ。メディアの攻勢に屈したように、ライフアイゼンバンク頭取は報酬金の一部を銀行に戻すと記者会見で発表したばかりだ。
当方は墓場に葬られた共産主義思想の労働価値説を再び呼び起こしているのではない。付加価値を認めるし、価値は労働時間では決定しないことを知っている。人間の創造性は価値を生み出すからだ。
しかし、グローバルな世界では貧富の格差や銀行を含む金融機関の横暴に批判が高まってきている。2008年のリーマショックの際、米政府から救済措置(国民の税金)を受けた金融機関が今日、巨額の利益を挙げている。反ウォール街デモにみられるように、持つもの、富む者への批判が高まってきた。
富む者は昔のようにその富みを享受できなくなってきた。どうしてだろうか。社会には富む者だけが生活しているのならば問題ないが、彼らの側に貧しい者たちが喘いでいるからだ。
富む者は「私は家族を忘れて働いてきた。富はその報酬だ」と主張したとしても、貧しい者も「私も朝早くから働いている」というだろう。
プロ・テニスのスター選手だったボリス・ベッカー氏は優勝賞金が余りも多いマスター大会に対し、「それは非道徳的だ」と発言したことを思い出す。
富む者も貧しい者も考え出してきている。それは公平な富の分配だ。それは共産革命では実現できないことをわれわれは学んだばかりだ。
それではどうしたら富の公平な分配が実現できるか。公平な給料体制が確立されない限り、紛争もテロも続くだろう。われわれは英知を結集して公平な分配システムを構築しなければならない。世界的な神学者、ハンス・キュンク教授が「経済のエトス」の中で指摘している内容だ。