「私にとって、コンセンサスとは、全ての確信、原理、価値、原則を投げ捨てることを意味する」
 これは8日、英国のロンドンで87歳で死去したマーガレット・サッチャー元首相の言葉だ。ソ連から「鉄の女」と評された元首相は1982年、国内に強い反対があったが南大西洋のフォークランド諸島領有で対立したアルゼンチンへ軍事攻勢をかけ、勝利した。その勢いでその直後の総選挙で再選されている。まさに、信念の人だった。

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▲国際原子力機関(IAEA)の加盟国の国旗(2013年4月9日、IAEA内で撮影)

 元首相の上記の発言を読んで思い出したことがある。ニューヨークの国連大使を勤められた高須幸雄氏が在ウィーン国際機関日本代表部全権大使の時、日本人記者団に対してニューヨークとウィーンの国連外交の相違について説明されたことがある。
 大使は「ニューヨークでは加盟国間で対立した場合、即採決で決着を付けようとするが、ウィーンの国連外交はギリギリまでコンセンサスを探す」と指摘し、国連外交もNYとウィーンでは違うと強調された。

 譲歩を繰り返し、全ての加盟国が良しとする解決策を模索するウィーンの国連外交などは、サッチャー元首相にとって「原理、確信を放棄する」亜流外交ということになるかもしれない。
 ただし、NYとウィーンの違いがあっても、そこから生まれる国連文書は曖昧模糊とし、何を言いたいのか不明なものが多い。国連安保理の対北制裁決議案も協議を重ねるうちに、実行力の乏しい最終案がまとまるのは国連外交の常だ。

 サッチャー元首相時代は冷戦が支配していた時であり、民主主義世界と共産主義世界が対立していた時代だ。政敵は明確だった。冷戦後、その政敵も曖昧な存在となってきた一方、グローバルな世界では価値観は益々多様化してきた。

 サッチャー元首相のような外交は現在、可能だろうか、と考えた。政治家としてサッチャー元首相のような信念と確信を持つことは大切だが、実際の政治ではどうしてもコンセンサスが重要となる。

 妥協と譲歩を良しとしないサッチャー元首相の政治姿勢は冷静時代には貴重だったが、多様な信念と価値観が交差する現代では、共通点を模索する外交がより必要となるのでないか。自身の信念と他者の信念をどのようにして折り合いをつけるか、これが問題となるからだ。
 念のため付け加えるが、サッチャー元首相は、時代(冷戦)が要求して出現した、信念を具現化した稀有な政治家であった点は疑いない。