南米教会出身のローマ法王フランシスコが就任以来、貧者の救済を頻繁に言及するため、「法王は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれる。イタリアのメディアの中には、法王を「革命者」と報じているほどだ。

▲貧者の救済を主張するフランシスコ法王(オーストリア国営放送の中継から撮影、2013年3月13日)
それに対し、バチカン法王庁教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教は「新法王は貧者の救済に尽力を投入してきた。迫害され、不公平な扱いを受けてきた人々や民族に対して支援することはキリスト教の人間観に基づく行為だ。悲惨な状況を黙認することはできない」と強調する一方、「だからといって、新法王を解放神学者と断言することは不適当だ」と説明している。オーストリアのカトプレス通信社との会見の中で語った。
解放神学とバチカンの関係は長い。教会の近代化が提唱された第2バチカン公会議の直後、南米司教会議がコロンビアのメデジンで開催された。そこで第2公会議の精神に基づき、抑圧された民族の解放問題が協議され、社会の改革に積極的に推進していく事が決定された。抑圧された貧者たちの視点を重視する解放神学の誕生だ。
バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めている。特に、解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で「解放の神学のいくつかの側面に関する指針」を発表、解放神学に警告を発した。
しかし、ヨハネ・パウロ2世は86年3月、南米訪問で悲惨な現状を目撃した後、ブラジル司教会議関係者との会見で解放神学の正当性を認めている。そしてバチカンは同年4月、「自由の自覚=キリスト者の自由と解放に関する指針」を公表した。同指針は解放神学に対するバチカンの公式見解と受け取られている。ちなみに、世界的な神学者でもあるべネディクト16世は「解放神学はカトリック教理と合致しない。神の王国という概念を誤解し、政治を神性化して革命を信者に呼び掛けている」と批判している。バチカンの懸念は、解放神学が地上の人間の業(革命、改革など)を重視する結果、神の救済の業が軽視されるのではないか、という点だ。
冷戦の終焉(しゅうえん)後、欧州では解放神学はその魅力を急速に失っていったが、解放神学そのものは決して消滅したわけではなく、フェミニスト神学や超教派運動などの中で生き延びてきた。
ミュラー長官は「解放神学の見直しは必要ではない。バチカンは1986年の指針の中で公式見解を発表済みだからだ。同指針は解放神学に対するカトリック教義から見た評価だ」という。
同長官は「新法王はローマ法王としてまだ自身のコンセプトを提示していない。明確な点は南米教会での経験が強く反映されていくことは考えられるが、カトリック教会は世界教会だ。全ての教会が南米教会と同様の対応が必要とは思わない」と述べている。

▲貧者の救済を主張するフランシスコ法王(オーストリア国営放送の中継から撮影、2013年3月13日)
それに対し、バチカン法王庁教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教は「新法王は貧者の救済に尽力を投入してきた。迫害され、不公平な扱いを受けてきた人々や民族に対して支援することはキリスト教の人間観に基づく行為だ。悲惨な状況を黙認することはできない」と強調する一方、「だからといって、新法王を解放神学者と断言することは不適当だ」と説明している。オーストリアのカトプレス通信社との会見の中で語った。
解放神学とバチカンの関係は長い。教会の近代化が提唱された第2バチカン公会議の直後、南米司教会議がコロンビアのメデジンで開催された。そこで第2公会議の精神に基づき、抑圧された民族の解放問題が協議され、社会の改革に積極的に推進していく事が決定された。抑圧された貧者たちの視点を重視する解放神学の誕生だ。
バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めている。特に、解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で「解放の神学のいくつかの側面に関する指針」を発表、解放神学に警告を発した。
しかし、ヨハネ・パウロ2世は86年3月、南米訪問で悲惨な現状を目撃した後、ブラジル司教会議関係者との会見で解放神学の正当性を認めている。そしてバチカンは同年4月、「自由の自覚=キリスト者の自由と解放に関する指針」を公表した。同指針は解放神学に対するバチカンの公式見解と受け取られている。ちなみに、世界的な神学者でもあるべネディクト16世は「解放神学はカトリック教理と合致しない。神の王国という概念を誤解し、政治を神性化して革命を信者に呼び掛けている」と批判している。バチカンの懸念は、解放神学が地上の人間の業(革命、改革など)を重視する結果、神の救済の業が軽視されるのではないか、という点だ。
冷戦の終焉(しゅうえん)後、欧州では解放神学はその魅力を急速に失っていったが、解放神学そのものは決して消滅したわけではなく、フェミニスト神学や超教派運動などの中で生き延びてきた。
ミュラー長官は「解放神学の見直しは必要ではない。バチカンは1986年の指針の中で公式見解を発表済みだからだ。同指針は解放神学に対するカトリック教義から見た評価だ」という。
同長官は「新法王はローマ法王としてまだ自身のコンセプトを提示していない。明確な点は南米教会での経験が強く反映されていくことは考えられるが、カトリック教会は世界教会だ。全ての教会が南米教会と同様の対応が必要とは思わない」と述べている。
