新ローマ法王フランシスコは2度目のツイッターで「われわれは悪魔の誘惑に屈してはならない」というメッセージを発信したが、南米出身の法王はこれまで説教や呟きで「悪」、「悪魔」という言葉を頻繁に使用する。「神の存在」は別として、「悪魔の存在」について考えたことが余りない現代人にとって、新法王の「悪魔」が正しく理解されるだろうか。

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▲サタンの試練を受けるイエス(バチカン放送独語電子版から) 

 聖書66巻には約300回、「悪魔」が登場するから、聖書を信じる数多くの信者たちは当然、「悪魔」の存在を信じているわけだ。有名な個所を拾ってみると、「悪魔は既にシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」(ヨハネによる福音書13章2節)とか、十字架に行く決意をしたイエスを説得するペテロに対し、イエスは「サタンよ、引きさがれ」(マルコによる福音書8章33節)と激怒している聖句に出会う(「悪魔(サタン)の存在」2006年10月31日参考)。

 ところで、「神が創造した世界」にどうして人間を誘惑し、破壊する悪魔が存在するのか、納得できる説明を聞いたことがあるだろうか。人間が願わない不和、紛争、妬みなどは全て「悪魔」の仕業というが、肝心の「悪魔」の正体については曖昧模糊としている。だから、何度も罪を犯し、何度も懺悔室で罪の許しを請わなければならなくなる。そこには罪からの解放は期待できない。なぜなら、罪を犯させる肝心の「悪魔」の正体が不明だからだ。

 教義の番人、バチカン教理省のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー長官は「悪魔は恐るべき力を有する存在だ。それは神の創造に起因しているのではなく、人間の自由意志を通じて生まれてきた存在だ。本来は神の意志に反する存在ではなかったが、悪の存在となってしまった」と説明。そして「幻想や作り物ではない。悪魔はリアルな存在だ。弾圧、搾取、破壊などをもたらし、人間間の信頼を破壊する」という。しかし、「どのような経路で悪魔となったのか」についての説明はない。
  
 フランシスコ法王は「悪魔」の正体を説明しない。新法王にとって、「悪魔」の存在は説明対象ではなく、戦わなければならない対象だからだ。新法王は「貧者の教会」の南米で「悪魔」の業をいやというほど目撃してきたのだろう。麻薬業者、売春婦、人身売買、人間の臓器取引業者などを見、その犠牲者のために祈ってきた聖職者だ。その点、書籍の世界で生きてきた前法王べネディクト16世とは根本的に違う。
 フランシスコが説教で「悪魔」の業を繰り返し警告するのは、「悪魔」が神学の世界ではなく、日常生活の中に暗躍している存在であり、その恐ろしさを誰よりも熟知しているからかもしれない。
 法王は言う。「神は、(悪魔の誘惑に負けて)罪を犯す人間を許す事に疲れない。疲れるのは人間だ。人は神に許しを請うことに疲れてしまう」という。

 新法王の説教は、「悪魔」の業を目撃してきた人間が発するだけにそれなりの説得力はあるが、「なぜ、神の創造世界に『悪魔』が生まれてきたか」を納得できるように説明しない限り、世俗社会に生きる現代人にとって、やはり救済の力とはなり得ない。