聖職者となるため生まれてきた人はいないように、ホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)もローマ法王となるために生きてきたわけではない。新法王が愛するアッシジの聖フランシスコも若き時代、放蕩息子で好き勝手に生きてきたが、ライ病患者や貧者をみて改心していったといわれる。ホルへも若い時、肺炎で一部肺を切り落としたことが契機となって、神の世界に入っていった。独週刊誌シュピーゲル(3月18日号)は「神が選んだベストの男?」というタイトルの記事を掲載している。それを参考にしながら、法王フランシスコの軌跡を読者に紹介する。

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▲独週刊誌シュピーゲル3月18日号の表紙「神が選んだベストの男?」  

 1936年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで北部イタリア人移民の息子として生まれた。2人の兄弟と2人の姉妹の家庭で育った。ホルへは化学者を目指していた。若い時はタンゴを踊るのが好きな平均的なアルゼンチン人青年だった。好きな女の子もいたという。
 22歳の時、肺炎に罹り、肺の一部を切り落とした。この経験が彼を精神的な世界に目を向けさせることになった。聖職者となるためイエズス会修道院に入る。チリ、アルゼンチン、独フランクフルトの聖ゲオルゲンなどで神学を学ぶ。ドイツ留学中、豊かな欧州と南米の貧しさを肌で感じ、「貧者の救済」という彼のライフ・テーマが構築されていった。ドイツでは宗教哲学ロマノ・グアルディ二の本の影響を多く受けた。
 アルゼンチンに帰国し、文学と心理学の講師をした後、神父に。彼の著書には「ヨハネ・パウロ2世とフェデル・カストロ」がある。37歳になると、アルゼンチンのイエズス会代表。その後、貧者の拠点サン・ミグエル司教区で聖職に従事。当時の彼を知っているイエズス会聖職者は「ベリゴリオは毎朝4時に起床し、祈っていた。人身売買、売春婦、人間の器官取引の犠牲者のために説教をしていた」という。そして1992年、ブエノスアイレスの司教補佐、98年に大司教となった。

 新法王のキャリアの中で影の時代もあった。軍政政権時代(1976−83年)だ。ベリゴリオ大司教時代、独裁政権との関係がメディアでも報じられた。アルゼンチン国民の中には「ベリゴリオ大司教は独裁政権への抵抗が十分ではなかった」、「修道院の同胞が迫害されても救援しなかった」、「彼は独裁政権の共犯だ」等の批判の声がある。
 ブラジルの解放神学者レオナルド・ボフ氏は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で「そのことは聞いている。アルゼンチンのノーベル平和賞受賞者で自身も独裁政権下で迫害を受けたアドルフォ・ペレス・エスキベル氏が『独裁政権の共犯となった司教たちがいたが、ベリゴリオはその中に属さない』と述べ、現法王の潔白を証していた」と答えている。ちなみに、バチカン法王庁のロムバルディ報道官は新法王への批判を「中傷に過ぎない」と一蹴している。

 新法王は、堕胎問題、同性愛問題など道徳的分野では超保守的だが、社会分野ではリベラルだといわれる。前法王ベネディクト16世は「信仰と知性」の統合を標語に掲げてきたが、新法王フランシスコは「信仰と公平」をモットーにその職務を進めていくだろうという。