新ローマ法王フランシスコは23日、法王専用の夏季別荘カステルガンドルフォで前法王ベネディクト16世と昼食を共にしながら、楽しい一時を過ごしたという。前法王はコンクラーベ開催中はテレビを通じてその進展をフォローしていたという。南米教会初の法王が選出されたと分かると、直ぐに祝いの電話を入れている。フランシスコも機会ある度に、前法王に言及し、その功績を称えているといった具合だ。「貧者の教会」出身の現法王と「欧州のエリート教会」の前法王の関係は一部メデイアが懸念していたような気まずさや不協和音はないようだ。べネディクト16世自身、「私はもはや法王ではない。一人の巡礼者に過ぎない。新しい法王に対しては完全に従順する」と述べている。

▲新法王フランシスコのサッカークラブ「サン・ロレンソ」のロゴ
ところで、オーストリアのメディアには珍しい写真が掲載されていた。ヨハネ・パウロ2世、べネディクト16世、そして現法王フランシスコの3人のローマ法王が一緒に写っているのだ。その写真を見ながら、3人の法王の性格の違いについて考えた。「外交官」のヨハネ・パウロ2世、「学者」のベネディクト16世、「庶民派」のフランシスコといった相違が直ぐ浮かぶが、ここでは世界最大のスポーツ、サッカーとの関係から3人の法王の違いを紹介する。
フランシスコが法王に選出された直後、新法王がアルゼンチンのサッカー・クラブ、サン・ロレンソ(San Lorenzo)のファンというニュースが流れてきた。クラブのトリコーを抱えて笑うブエノスアイレス大司教の写真が掲載されていた。
調べていくと、大司教は決して単なるファンではない。正式のクラブ・メンバーに登録しているのだ。クラブへの熱意は中途半端ではない。南米はサッカーの王国だ。サッカーを理解できずに人を牧会できない。その意味で、ブエノスアイレス大司教時代、フランシスコはサッカーに自然と引き込まれていったのだろう。
一方、学者法王のベネディクト16世の出身地ドイツも南米に負けないほどサッカー国だ。ベネディクト16世の出身のバイエルン州にはFCバイエルン・ミュンヘンという強豪チームがある。ところで、ヨーゼフ(ベネディクト16世の本名ヨーゼフ・・ラッツィンガー)はサッカーを興じる子供たちの中に入って一緒にプレイできなかったという。上手くなかったからだ。何時もベンチに座っていたという。だから、サッカーとは次第に縁が切れ、書籍の人となっていった。
ヨハネ・パウロ2世はクラクワの子供時代、サッカーが好きでポジションはゴールキーパーだった。ポーランド出身の新法王は1978年10月22日、落ち着かなかった。夜、ASローマとFCボロニヤのサッカー試合がテレビで中継されるからだ。どうしても観戦したかった。そこでヨハネ・パウロ2世はプロトコールを早め、夜テレビ中継が観戦できるように調整したという。大したものだ。
以上、オーストリア日刊紙プレッセに報じられていた記事を参考に紹介した。
「サッカー・クラブのメンバー」の法王、「何時もベンチから試合をみていた」法王、「サッカー試合を観戦するために日程を調整した」法王・・・3人の法王のサッカーとの関わりは、その生い立ちと同じように違っていたわけだ。
ちなみに、バチカンにはクレリクス・カップ(Clericus Cup)というサッカー・リーグが存在する。リーグ戦には71カ国出身の19歳から57歳までの神学生、神父たちが、出身国別ではなく、機関所属別に分かれて戦う(「サッカーを愛する『神様』」2009年8月12日参考)。

▲新法王フランシスコのサッカークラブ「サン・ロレンソ」のロゴ
ところで、オーストリアのメディアには珍しい写真が掲載されていた。ヨハネ・パウロ2世、べネディクト16世、そして現法王フランシスコの3人のローマ法王が一緒に写っているのだ。その写真を見ながら、3人の法王の性格の違いについて考えた。「外交官」のヨハネ・パウロ2世、「学者」のベネディクト16世、「庶民派」のフランシスコといった相違が直ぐ浮かぶが、ここでは世界最大のスポーツ、サッカーとの関係から3人の法王の違いを紹介する。
フランシスコが法王に選出された直後、新法王がアルゼンチンのサッカー・クラブ、サン・ロレンソ(San Lorenzo)のファンというニュースが流れてきた。クラブのトリコーを抱えて笑うブエノスアイレス大司教の写真が掲載されていた。
調べていくと、大司教は決して単なるファンではない。正式のクラブ・メンバーに登録しているのだ。クラブへの熱意は中途半端ではない。南米はサッカーの王国だ。サッカーを理解できずに人を牧会できない。その意味で、ブエノスアイレス大司教時代、フランシスコはサッカーに自然と引き込まれていったのだろう。
一方、学者法王のベネディクト16世の出身地ドイツも南米に負けないほどサッカー国だ。ベネディクト16世の出身のバイエルン州にはFCバイエルン・ミュンヘンという強豪チームがある。ところで、ヨーゼフ(ベネディクト16世の本名ヨーゼフ・・ラッツィンガー)はサッカーを興じる子供たちの中に入って一緒にプレイできなかったという。上手くなかったからだ。何時もベンチに座っていたという。だから、サッカーとは次第に縁が切れ、書籍の人となっていった。
ヨハネ・パウロ2世はクラクワの子供時代、サッカーが好きでポジションはゴールキーパーだった。ポーランド出身の新法王は1978年10月22日、落ち着かなかった。夜、ASローマとFCボロニヤのサッカー試合がテレビで中継されるからだ。どうしても観戦したかった。そこでヨハネ・パウロ2世はプロトコールを早め、夜テレビ中継が観戦できるように調整したという。大したものだ。
以上、オーストリア日刊紙プレッセに報じられていた記事を参考に紹介した。
「サッカー・クラブのメンバー」の法王、「何時もベンチから試合をみていた」法王、「サッカー試合を観戦するために日程を調整した」法王・・・3人の法王のサッカーとの関わりは、その生い立ちと同じように違っていたわけだ。
ちなみに、バチカンにはクレリクス・カップ(Clericus Cup)というサッカー・リーグが存在する。リーグ戦には71カ国出身の19歳から57歳までの神学生、神父たちが、出身国別ではなく、機関所属別に分かれて戦う(「サッカーを愛する『神様』」2009年8月12日参考)。
