25日付の朝刊に懐かしい名前を見つた。ソウル特派員が元日朝国交正常化交渉日本政府代表を務めた遠藤哲也氏とインタビューしている。遠藤氏のキャリアをみれば分かるが、同氏は1989年、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使に就任している。同氏はその後、朝鮮半島エネルギー開発機関(KEDO)担当大使に歴任するなど、朝鮮半島問題に久しく関わってきた外交官だ。

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▲駐オーストリアの北大使館(2013年1月撮影)

 知人の学者がハンガリーのブタペストで開催された未来学会に参加した後、ウィーンを訪問し、旧友の遠藤氏(当時、国連機関日本政府代表部大使)と会った。その直後、知人は当方に驚くべき話をしてくれた。駐ウィーンの前北朝鮮大使が遠藤氏に「国連で仕事をもらえないか。どのような立場でもいいから」と打診してきたというのだ。遠藤大使はその時、「彼は政治亡命を考えている」と直感し、体が震えるほどビックリしたという。北朝鮮大使を務めた人物が国連機関に職を求めるということは通常では考えられないからだ。

 当方はその後、遠藤大使に亡命意思を示唆した前北大使の動向を取材し、欧州の北外交官の動向をまとめて日本の月刊誌に掲載した。同件は当方にとって本格的な北情報取材活動の契機となった。そのような縁もあって遠藤氏の名前を良く覚えているわけだ。

 1980年後半から90年代にかけ、北朝鮮は欧州に基盤を整えていった。北外交官の動きは考えられないほど活発だった。
 遠藤氏に政治亡命の意思を伝えた前北大使とは別の件だが、当方はある北外交官の亡命意思を確認する取材をしたことがある。同外交官は亡命意思をもらした直後、帰国したが、その直前、当方に電話をかけ、「これからは連絡しないでほしい」と嘆願してきた。当方は同外交官の亡命意思が平壌に漏れたのではないかと心配になった。その数年後、彼は再びウィーンに赴任してきた。彼は無事だった。数年後、彼は再び平壌に戻っていった。その後は知らない。

 遠藤氏の名前を見つけた時、亡命意思を吐露した前北大使や北外交官の追跡取材に駆け回っていた時代を懐かしく思い出した次第だ。