世界に約12億人の信者を誇るローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世が今月28日に退位すると、法王選出会(コンクラーベ)の準備が本格化する。世界から117人の枢機卿がローマに到着次第、開催する予定というから、3月15日前にもコンクラーベが開かれる可能性が高まった。

▲前法王の列福式を宣伝するポスター(2011年4月23日、ローマで撮影)
「誰が第266代目のローマ法王に選出されるか」で大量の予想記事が流れているが、未来を考える前に過去から学ぶ、というわけではないが、今回は2000年のキリスト教歴史の中で忘れられない法王を紹介したい。オーストリアの著名な歴史学者ゲオルグ・マルクス氏が日刊紙クリアで過去のローマ法王のプロフィールを書いていたので、それを参考にしながら報告する。
現在ならばどうしてあの人がペテロの後継者に、というような人物が過去、ローマ法王として君臨している。多数の女性を囲み、贅沢三昧の自堕落法王が結構いる一方、このコラム欄でも紹介した在位33日間という「短命法王」から、殺害された法王まで、さまざまな法王がいた。
先ず、自堕落な法王の代表はルネッサンス時代のアレクサンデル6世(在位1492年〜1503年)だろう。多数の女性を囲み、8人の子供を生み、生まれた息子にローマ法王の地位を世襲させている。北朝鮮の金世襲政権も顔負けするほどだ。フィレンツェの商人君主メディチ家出身のレオ10世(在位1513〜21年)は修道女マザー・テレサが謁見していたら卒倒するような華美な生活を送っていたことで有名だ。聖職者の独身制を懸命に主張するべネディクト16世がアレクサンデル6世と会見していたらどのような反応が飛び出しただろうか、想像するだけで興味深い。いずれにしても、中世時代の法王たちは内縁関係の女性を多数囲っていたことは良く知られている。とにかく、人間臭い法王が多
かった。
ローマ法王に選出されたが、就任33日目で急死し、「短命法王」としてその名前を歴史に残した法王はヨハネ・パウロ1世(在位1978年8月26日〜同年9月28日)だ。昨年10月で同1世生誕100年を迎えたことから、イタリア北部の各地で記念行事やシンポジウムが開かれた。
近代の教会史で最短命法王となったパウロ1世の急死については憶測が絶えない。バチカンは当時、パウロ1世の死因を「急性心筋梗塞」と発表したが、新法王がバチカン銀行の刷新を計画していたことから、イタリアのマフィアや銀行の改革を望まない一部の高位聖職者から暗殺されたという説が聞かれた。十分な死体検証も行われなかったことから、証拠隠滅という批判の声もあった。また、ベットで死んでいるパウロ1世を最初に見つけたのは修道女だったが、公式発表では個人秘書が発見したことになっている。
一方、歴史学者から高い評価を受けているローマ法王といえば、第2バチカン公会議を招集したヨハネ23世と27年間の長期政権を誇ったヨハネ・パウロ2世だろう。ヨハネ23世(在位1958年10月〜63年6月)は1962年10月11日、ローマ・カトリック教会の近代化と刷新のため「第2バチカン公会議」を開催した法王として歴史に記録されている。昨年は、ラテン語礼拝の廃止、エキュメニズムの推進など教会の近代化を決定した公会議開催50周年を記念するイベントが世界各地で開催されたばかりだ(「第2バチカン公会議開催50周年」2012年10月3日)、「『1960年』は歴史の大転換期」2012年10月10日)。
ヨハネ・パウロ2世については説明が要らないだろう。生来の外交センスを遺憾なく発揮して時代の寵児となった法王だ。ポーランド出身の法王は冷戦の終焉に大きく貢献した。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は新ミレニアムの2000年、キリスト教会の十字軍遠征やガリレオ・ガリレイの異端裁判などキリスト教の過去の蛮行に対して懺悔を表明している。
次に、歴史的評価が定まっていない法王はピウス12世(在位1939−58年)だろう。ドイツ国家社会主義(ナチス)の推進した反ユダヤ主義政策を擁護した法王としてのイメージが強いからだ。それに対し、バチカン側は「ピウス12世は多くのユダヤ人を救済した」と反論し、同法王の名誉回復を進めてきた。
ピウス12世の「ユダヤ人を見殺した法王」というイメージが定着した背景には、ドイツ人作家のロルフホーホフート氏が63年、「神の代理人」という戯曲の中で「恐怖に襲われ、ナチスを助けるローマ法王」と風刺したことが大きな影響を与えたといわれる。一度、烙印が押されると、それを払拭することは並大抵ではない。ピウス12世の場合も例外ではなかったわけだ。
その他、異端者を組織的に殺害する「異端審問所」制度を確立したグレゴリウス9世(在位1227〜41年)、唯一の女性法王ヨハナがいる。ローマ法王はキリストの12使徒のひとりペテロの後継者ということもあって男性が就任してきたが、カトリック教会の歴史には女性がローマ法王に選出されたことがある。しかし、「女性法王」は歴史家たちから、「史実というより伝説」と受け取られている。「伝説」というのは、女性法王の存在を確認できる文献が少ない上、教会自体が女性法王の存在を隠蔽してきたからだ。(「女性ローマ法王ヨハナの伝説」2009年10月28日)。
以上、簡単に紹介した。ローマ法王は一応、「ペテロの後継者」と呼ばれるが、実際は、アダム・エバの堕落後の「人類の代表」という印象が強い。高潔な聖職者から自堕落な人物まで、玉石混淆といった感じがするからだ。

▲前法王の列福式を宣伝するポスター(2011年4月23日、ローマで撮影)
「誰が第266代目のローマ法王に選出されるか」で大量の予想記事が流れているが、未来を考える前に過去から学ぶ、というわけではないが、今回は2000年のキリスト教歴史の中で忘れられない法王を紹介したい。オーストリアの著名な歴史学者ゲオルグ・マルクス氏が日刊紙クリアで過去のローマ法王のプロフィールを書いていたので、それを参考にしながら報告する。
現在ならばどうしてあの人がペテロの後継者に、というような人物が過去、ローマ法王として君臨している。多数の女性を囲み、贅沢三昧の自堕落法王が結構いる一方、このコラム欄でも紹介した在位33日間という「短命法王」から、殺害された法王まで、さまざまな法王がいた。
先ず、自堕落な法王の代表はルネッサンス時代のアレクサンデル6世(在位1492年〜1503年)だろう。多数の女性を囲み、8人の子供を生み、生まれた息子にローマ法王の地位を世襲させている。北朝鮮の金世襲政権も顔負けするほどだ。フィレンツェの商人君主メディチ家出身のレオ10世(在位1513〜21年)は修道女マザー・テレサが謁見していたら卒倒するような華美な生活を送っていたことで有名だ。聖職者の独身制を懸命に主張するべネディクト16世がアレクサンデル6世と会見していたらどのような反応が飛び出しただろうか、想像するだけで興味深い。いずれにしても、中世時代の法王たちは内縁関係の女性を多数囲っていたことは良く知られている。とにかく、人間臭い法王が多
かった。
ローマ法王に選出されたが、就任33日目で急死し、「短命法王」としてその名前を歴史に残した法王はヨハネ・パウロ1世(在位1978年8月26日〜同年9月28日)だ。昨年10月で同1世生誕100年を迎えたことから、イタリア北部の各地で記念行事やシンポジウムが開かれた。
近代の教会史で最短命法王となったパウロ1世の急死については憶測が絶えない。バチカンは当時、パウロ1世の死因を「急性心筋梗塞」と発表したが、新法王がバチカン銀行の刷新を計画していたことから、イタリアのマフィアや銀行の改革を望まない一部の高位聖職者から暗殺されたという説が聞かれた。十分な死体検証も行われなかったことから、証拠隠滅という批判の声もあった。また、ベットで死んでいるパウロ1世を最初に見つけたのは修道女だったが、公式発表では個人秘書が発見したことになっている。
一方、歴史学者から高い評価を受けているローマ法王といえば、第2バチカン公会議を招集したヨハネ23世と27年間の長期政権を誇ったヨハネ・パウロ2世だろう。ヨハネ23世(在位1958年10月〜63年6月)は1962年10月11日、ローマ・カトリック教会の近代化と刷新のため「第2バチカン公会議」を開催した法王として歴史に記録されている。昨年は、ラテン語礼拝の廃止、エキュメニズムの推進など教会の近代化を決定した公会議開催50周年を記念するイベントが世界各地で開催されたばかりだ(「第2バチカン公会議開催50周年」2012年10月3日)、「『1960年』は歴史の大転換期」2012年10月10日)。
ヨハネ・パウロ2世については説明が要らないだろう。生来の外交センスを遺憾なく発揮して時代の寵児となった法王だ。ポーランド出身の法王は冷戦の終焉に大きく貢献した。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は新ミレニアムの2000年、キリスト教会の十字軍遠征やガリレオ・ガリレイの異端裁判などキリスト教の過去の蛮行に対して懺悔を表明している。
次に、歴史的評価が定まっていない法王はピウス12世(在位1939−58年)だろう。ドイツ国家社会主義(ナチス)の推進した反ユダヤ主義政策を擁護した法王としてのイメージが強いからだ。それに対し、バチカン側は「ピウス12世は多くのユダヤ人を救済した」と反論し、同法王の名誉回復を進めてきた。
ピウス12世の「ユダヤ人を見殺した法王」というイメージが定着した背景には、ドイツ人作家のロルフホーホフート氏が63年、「神の代理人」という戯曲の中で「恐怖に襲われ、ナチスを助けるローマ法王」と風刺したことが大きな影響を与えたといわれる。一度、烙印が押されると、それを払拭することは並大抵ではない。ピウス12世の場合も例外ではなかったわけだ。
その他、異端者を組織的に殺害する「異端審問所」制度を確立したグレゴリウス9世(在位1227〜41年)、唯一の女性法王ヨハナがいる。ローマ法王はキリストの12使徒のひとりペテロの後継者ということもあって男性が就任してきたが、カトリック教会の歴史には女性がローマ法王に選出されたことがある。しかし、「女性法王」は歴史家たちから、「史実というより伝説」と受け取られている。「伝説」というのは、女性法王の存在を確認できる文献が少ない上、教会自体が女性法王の存在を隠蔽してきたからだ。(「女性ローマ法王ヨハナの伝説」2009年10月28日)。
以上、簡単に紹介した。ローマ法王は一応、「ペテロの後継者」と呼ばれるが、実際は、アダム・エバの堕落後の「人類の代表」という印象が強い。高潔な聖職者から自堕落な人物まで、玉石混淆といった感じがするからだ。