息子から誕生日祝いにもらった米理論物理学者Michio Kaku博士の新著「Die Physik der Zukunft」(未来の物理学)を読んでいたら、米国の第32代大統領、フランクリン・ルーズベルト(任期1933〜45年)の「悲観論者で戦争に勝利した者はいない」という言葉が紹介されていた。

 戦争という極限状況の場合、指導者の姿勢が勝敗を決定することはいうまでもない。旧約聖書の英雄モーセのことを思い出した。モーセは約60万人のイスラエル民族をエジプトからカナン(現在のイスラエル)へ導いていた。神は12名をカナンの地に派遣し、偵察させた。偵察から戻った12人のうち、ヨシュアとカレブの2人以外は「その地に住む民は強く、町々は堅固であるばかりか、その地に住む者はみな背が高い人々であり、わたしたちには自分が、いなごのように思われた」と報告した。その報告を聞いたイスラエル民族はモーセに文句をいい、「泣き叫びながらエジプトに帰ろう」と言った。その時、ヨシュアとカレブの2人は「われわれにはエホバが保護者としておられるから、恐れることはない」と報告した。2人は他の10人のように悲観的な報告をしなかった。実際、2人が率いるイスラエル民族はカナンに入り、戦いに勝利する。旧約聖書の民数記13章に記述されている有名な話だ。

 ウィンストン・チャーチル(英政治家)は「悲観論者はあらゆる機会の中に問題を見出し、楽観論者はあらゆる問題の中に機会を見出す」と述べている。悲観論者は問題を見つける能力には長けているが、その問題がチャンスとなると信じられない人々というわけだ。ヨシュアとカレブは偵察で「チャンス」を見、他の10人は「問題」(困難)を感じたわけだ。

 当方の周囲にも悲観論者と楽観主義者がいる。前者には現実を正しく把握できる知性と経験を有している者が多い一方、楽観主義者はそれらの能力で少し劣るケースが見られる。すなわち、悲観論者は楽観主義者よりも知的に優れているが、欠点は現実をより知っているため、その判断がどうしても懐疑的、消極的に傾きやすい。一方、楽観主義者は現実の厳しさに対する認識が甘い、といった印象を与える。

 大切な点は、楽観主義者が有している「信じる力」だ。ヨシュアとカレブは他の10人以上に神を信じることで秀でていた。他の10人も神への信仰はあったが、眼前の現実が更に大きな影響力を与えた。だから、神は「この民はいつまで私を侮るのか」と激怒したわけだ(民数記14章)。

 もちろん、楽観主義者が生来有している「信じる力」は神にだけに向けられているわけではない。こうあってほしいと願えば、それが実現できると「信じる力」は、どの分野にも応用が利く。そして「信じる力」は「夢」を生み出す。
 未来が輝かしいものとなるか、悲惨で暗い世界が到来するかは、私たちの「未来への信頼」と「夢の有無」が大きな影響を与えるのではないだろうか。

 根っからの悲観論者が楽観的な生き方をすることは容易ではない。最初のチャレンジは、夢を持つことだろう。夢がなければ、探し出さなければならない。悲観論者よ、夢(大志)を持て!