昨日(27日)は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day) だった。ウィーンの国連では昨年、ホロコーストで犠牲となった子供たちに焦点を合わせて、写真展示会が開催されたが、今回は28日から来月8日まで、ナチス軍の迫害からユダヤ人を救済した外交官たちの展示会が開かれる。「命のビザ、正義の外交官たち」と名づけられた展示会は国連情報サービス(UNIS)と駐ウィーン国連機関イスラエル政府代表部が共催する。

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▲10万人のユダヤ人を救ったラウル・ワレンバーク(ウィキペディアから掲載)

 同展示会の案内書には「この展示会は、自身の生命や外交官としてのキャリアを犠牲にしながらもナチス軍のホロコーストからユダヤ人を救済した外交官たちに捧げる」と記述されている。ユダヤ民族の救済者(The Rescuers)と呼ばれる外交官たちは、スウェ−デン、米国、スペイン、スイス、イタリア、バチカン小国、ドイツ、日本、英国、トルコ、中国、ポルトガルと多数の国々に及ぶ。外交官たちが救済したユダヤ人の総数は20万人にもなったという。

 その中でも最も良く知られている人物はスウェーデン人外交官ラウル・ワレンバーク(1912〜47年)だろう。駐在先のハンガリーで約10万人のユダヤ人たちにスウェ−デンの保護証書を発行して救ったが、ナチス軍の敗北後、ハンガリーに侵入してきたソ連軍によって拉致され、行方不明となった。ソ連の刑務所で射殺されたといわれる。もう一人は、「日本のシンドラー」と呼ばれた駐リトアニア領事代理の杉原千畝(1900〜86年)だ。ポーランドなど欧州各地から逃げてきたユダヤ人たちに通過ビザを発行し、約6000人のユダヤ人を救った。杉原の場合、日本外務省の指令を無視しての行動だった。

 ところで、「正義の外交官たち」はナチス軍のホロコーストから逃げるユダヤ人たちを救済した外交官だけではない。冷戦時代の「プラハの春」後、オーストリアに逃げるため多数のチェコ国民がプラハのオーストリア大使館に殺到したことがあった。当時、駐チェコのオーストリア大使だったルドルフ・キルヒシュレーガーはウィーンの外務省の反対を押し切り、ビザを発行し続けた。大使はその後、大統領(74〜86年)に選出されるなど、オーストリア国民が最も尊敬する政治家といわれてきた。
 ちなみに、ビザ発行中止を要請したのはクルト・ワルトハイム外相(当時)だった。同外相は1986年、キルヒシュレーガー大統領の後任大統領に就任したが、ナチス・ドイツ軍での過去問題が国際メディアから激しく追求され、再選出馬の断念を余儀なくされている。