ウィーンの楽友協会で1月1日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートが開催される。世界70カ国以上に中継放映されるニューイヤー・コンサートは音楽の都ウィーンだけではなく、新年を告げるコンサートとして、世界中の音楽ファンを魅了している。2013年のニューイヤー・コンサートはフランツ・ヴェルザー=メスト氏が2011年に次いで2回目の登場だ。ヨハン・シュトラウスのワルツだけではなく、1813年生まれのリヒャルト・ワーグナーとジョビッペ・ヴェルディの生誕200周年を記念して彼らの作品も演奏される予定という。

▲ニューイヤー・コンサートが開催される楽友協会(2012年12月27日、ウィーンで撮影)
ところで、ニューイヤー・コンサートを間近に控えたこの時、ウィーン・フィルと国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)政権との関係に対する批判の声が挙がってきた。野党「緑の党」は「ナチス政権下のウィーン・フィルの役割を客観的に調査する歴史家委員会を設置すべきだ」と要求している。オーストリア通信(APA)が26日、報じた。
それによると、緑の党議員で歴史学者のハラルド・ヴァルザー氏は「ニューイヤー・コンサートはナチス政権の文化政策の一環だった」と主張する。同議員によれば、ウィーン・フィルのユダヤ系楽団メンバーがナチス政権によって強制収容所に送られ、そこで殺されたが、ウィーン・フィルはこれまで彼らを慰霊するコンサートを開催したことがない一方、ナチス政権の全国青少年指導者で戦争犯罪人と判決されたバルドゥール・フォン・シーラッハに名誉リンクを授与している」と批判し、「正しい歴史認識を拒否することはウィーン・フィルの名誉を傷つけるだけでなく、オーストリア共和国の名誉を傷つける」と述べている(ウィーン・フィルの6人のユダヤ系メンバーがナチスに殺された。当時、楽団の解散は回避されたが、ナチスの政治プロパガンダにその演奏活動が利用されたことは事実だ)。
それに対し、ウィーン・フィルのクレメンス・ヘルスベルク楽団長はオーストリアのメディアのインタビューに答え、「1939年のニューイヤー・コンサートの発足はオーストリア国民に対する崇高な思いであり、一種の抵抗運動でもあった」と説明し、ナチス政権に迎合してたという批判を一蹴している。
なお、ウィーン・フィルのサイトでは「かつてのオーストリアの歴史の暗い一幕において、ニューイヤー・コンサートはオーストリア国民に自国へ回帰の念を呼び起こし、同時によりよい時代への希望をもたらした」と記述されている。
ちなみに、ウィーン市文化評議会は今年4月、1897年から1910年までウィーン市長を務め、反ユダヤ主義者で有名だった政治家カール・ルエガー(1844〜1910年)の名前をつけた通り名の撤廃を決定したばかりだ(「反ユダヤ主義者を街から追放せよ」2012年4月22日参考)。同国では戦後60年以上を経過した今日でも、反ユダヤ主義を標榜した政治家、文化人への追求、ナチス政権との関わりを検証する動きがある。

▲ニューイヤー・コンサートが開催される楽友協会(2012年12月27日、ウィーンで撮影)
ところで、ニューイヤー・コンサートを間近に控えたこの時、ウィーン・フィルと国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)政権との関係に対する批判の声が挙がってきた。野党「緑の党」は「ナチス政権下のウィーン・フィルの役割を客観的に調査する歴史家委員会を設置すべきだ」と要求している。オーストリア通信(APA)が26日、報じた。
それによると、緑の党議員で歴史学者のハラルド・ヴァルザー氏は「ニューイヤー・コンサートはナチス政権の文化政策の一環だった」と主張する。同議員によれば、ウィーン・フィルのユダヤ系楽団メンバーがナチス政権によって強制収容所に送られ、そこで殺されたが、ウィーン・フィルはこれまで彼らを慰霊するコンサートを開催したことがない一方、ナチス政権の全国青少年指導者で戦争犯罪人と判決されたバルドゥール・フォン・シーラッハに名誉リンクを授与している」と批判し、「正しい歴史認識を拒否することはウィーン・フィルの名誉を傷つけるだけでなく、オーストリア共和国の名誉を傷つける」と述べている(ウィーン・フィルの6人のユダヤ系メンバーがナチスに殺された。当時、楽団の解散は回避されたが、ナチスの政治プロパガンダにその演奏活動が利用されたことは事実だ)。
それに対し、ウィーン・フィルのクレメンス・ヘルスベルク楽団長はオーストリアのメディアのインタビューに答え、「1939年のニューイヤー・コンサートの発足はオーストリア国民に対する崇高な思いであり、一種の抵抗運動でもあった」と説明し、ナチス政権に迎合してたという批判を一蹴している。
なお、ウィーン・フィルのサイトでは「かつてのオーストリアの歴史の暗い一幕において、ニューイヤー・コンサートはオーストリア国民に自国へ回帰の念を呼び起こし、同時によりよい時代への希望をもたらした」と記述されている。
ちなみに、ウィーン市文化評議会は今年4月、1897年から1910年までウィーン市長を務め、反ユダヤ主義者で有名だった政治家カール・ルエガー(1844〜1910年)の名前をつけた通り名の撤廃を決定したばかりだ(「反ユダヤ主義者を街から追放せよ」2012年4月22日参考)。同国では戦後60年以上を経過した今日でも、反ユダヤ主義を標榜した政治家、文化人への追求、ナチス政権との関わりを検証する動きがある。

是非聴いてみたいです。