日本の友人に頼んでいた藤本健二氏の新著「引き裂かれた約束」(講談社)=写真が届いたので早速読んだ。同氏の最初の著書「金正日の料理人」(扶桑社)に匹敵するほど興味深い内容が記述されていた。11年ぶりに平壌に戻り、金正恩氏に会った藤本氏は文字通り、涙、涙だ。故金正日総書記から幼い子供達の遊び相手になってほしいと依頼された藤本氏の正恩氏への傾斜ぶりは理解できる。
新著の中で注目すべき点は、11年ぶりに平壌に訪れた藤本氏を歓迎する宴の席に招かれた17人の中で、藤本氏もその身元を知らない謎の人物の存在だ。年齢50歳から60歳。その男は正恩氏が催した宴の席で立ち上がり、藤本氏に「あなたが共和国に来たことを歓迎しません。あなたには心がない」と述べたのだ。
ホストの正恩氏は「そんなことを言うな」と注意するが、男は座らないのでもう一度「座れ」と叱咤する場面がある。その男は正恩氏に仕える身近な人物のはずだ。藤本氏は「国家安全保衛部関係者かもしれない」と推測している。
故金正日総書記時代、総書記のゲストに対し、男のような発言は考えられない。そのような状況が生じたら、その男は即処罰されただろう。藤本氏は著書の中で「招待してくれた『線』とは違う『線』が、私の存在を不愉快に思っているのだろう」と述懐している。それだけではない。金正恩氏自身も「夜は危ない。ここ8番宴会場の宿舎で、家族みんなで泊ったらいい」と述べたという。
上記の内容は、正恩氏の政治基盤がまだ安定していない、という憶測を生み出す。藤本氏がいう別の「線」とは具体的になにを意味するのか。今後、時間の経過と共に、明らかになってくるかもしれない。
当方はこのコラム欄で「藤本氏がビザを拒否された理由」(2012年9月23日)について北外交官と韓国外交筋に聞いたことがある。北外交官は「わが国の藤本氏への立場は変わらない。多分、今回はコミュニケーションで問題があったか、技術的な問題が生じただけだろう」と説明。一方、韓国外交筋は「藤本氏は北朝鮮の言葉を間違って受け取っていた可能性がある。藤本氏が願う時に訪朝できるのではなく、北が願う時に訪朝できるという意味だ。藤本氏は金正恩第1書記に歓迎されたので少々ハイになっていた。また、藤本氏が帰国後、日本のメディアにいろいろなことを語ったので、北側は不快となったかもしれない」と分析した。
当方は藤本氏の新著から同氏のビザ拒否の真相を期待していたが、見出せなかった。ひょっとしたら別の「線」の嫌がらせかもしれないが、断言できない。
参考までに付け加えるなら、北朝鮮が今月12日、長距離ミサイルの発射を成功させたことで軍強硬派の立場が強固となり、正恩氏周辺の権力構図に変化が生じたかもしれないことだ。
故金総書記の専属料理人だった藤本氏は「日朝の架け橋になりたい」という。同氏の心意気は貴重だが、故金総書記に仕えていた13年間、同氏が目撃しなかった北朝鮮の独裁政権の現実は、一人の男の心意気だけでは解決できない、複雑でドロドロとした問題が蠢いているはずだ。
