イタリア中部ラクイラで地震の警告を解除した後、地震が発生、多くの犠牲者が出たことに対し、ラクイラの地裁が22日、地震予知の専門家7人に禁固6年の実刑判決を下した、というニュースを聞いた時、聖書の旧約時代の王のもとで穀物収穫や気候状況を予知していた預言者の運命を思い出した。彼らはその預言が的中しなかった場合、多くは王から殺害されたのだ。

 旧約時代の王たちは預言者の予知を重視し、それに基づいて政務を行っていたから、予知が100%的中しなかった場合、預言者は例外なく偽者として殺される運命にあった。
 逆に、預言や予知がズバリ的中した場合、王から豪華なご褒美や高位の職務に抜擢された。ヨセフがパロの夢を解明し、大豊作と大飢饉の到来を予想し、それが当たり、首相に抜擢された話は余りにも有名だ。

 イラリアの地震専門家に対し、その実刑判決が明らかになると、世界の地震予知学者たちからブーイングが起きた。旧約時代の預言者たちの運命と比較すると、死刑ではなく禁固6年に過ぎないが、そんな話は現代の予知学者に何の慰めにもならないだろう。

 地震学者は将来、2009年のラクイラ地震のように多数の国民が犠牲となれば大変だから、地震の危険情報を解除せず、「地震の危険性は排除できません」といった外交的予知に終始するようになるかもしれない。
 そのようになれば、地震予知学は無力となる一方、国民はいつ発生するかは分からない地震のため、24時間、365日、警戒しなければならない。なぜならば、地震学者が危険を解除しないからだ。

 偽預言者は厳しく処罰されたが、地震の予知学者に対してはある程度の寛容さが必要かもしれない。寺田寅彦が昔、「天災は忘れた頃にやってくる」と喝破しているではないか。