バチカン放送独語電子版が23日報じたところによると、ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁はこのほど超自然現象や個人的啓示への評価に対する規約を提示した。

▲ファティマの聖母マリア出現地(1997年5月、ファティマで撮影、当方の取材ノートから)
バチカン教理省のインターネット上で公表されたバチカン文書によると、教区司教たちは超自然現象に関する情報を入手した場合、それを慎重に検証するように求められている。その現象がポジチブに評価された場合、司教たちはルルド(フランス)、ファティマ(ポルトガル)、グアダルーペ(メキシコ)のような聖母マリアの出現地として承認できる。ただし、超自然現象を悪用したり、そこから誤った教義を引き出す動きに対しては阻止・回避する義務がある。
超自然現象の評価に関する規約は1978年に既に作成されたが、司教たちに内々伝達されただけだった。個人的啓示は決してイエスの啓示を補足、ないしは修正するものではないが、信仰に新しいアクセントと敬虔さを生み出すことはできるから、無視して放棄するべきではない、という説明が付いている。
バチカン法王庁は「奇跡」や「霊現象」には非常に慎重な姿勢を取ってきたことは周知の事だ。カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」だ。その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題としてきた。
このコラム欄にも数回紹介したが、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ西約50キロにあるメジュゴリエで1981年6月、聖母マリアが2人の少女たちに顕現し、数多くの奇跡が起きている。通称「メジュゴリエの奇跡」と呼ばれ、これまで1000万人以上の巡礼者が訪れているが、バチカンはこれまで公認していない。ただし、ローマ法王ベネディクト16世は2008年7月、「メジュゴリエ聖母マリア再臨真偽調査委員会」を設置し、奇跡の真偽の調査に乗り出している。
ちなみに、バチカンが聖母マリアの再臨として公認した有名な巡礼地には、ルルドとファティマがある。フランス南西部ルルドで1858年、聖母マリアが14歳の少女、ベルナデッタ・スビルーに顕現。そこから湧き出る水を飲むと病が癒されるといった現象が起きている(毎年約600万人の人々がルルドを巡礼する)。ポルトガルのファティマ(1917年5月)でも聖母マリアが羊飼いの3人の子供たちに顕れ、有名な“第3の予言”を伝えている。
ところで、今回、なぜ、バチカンが超自然現象を恐れるかを考えてみた。一つは、偽預言者や偽りの教えが広がることを恐れているからだろう。その懸念は理解できる。聖書の中でも「終わりの時には偽キリスト、預言者が出現する」と警告を発している。もう一つは、バチカンが霊的世界の存在について非常に曖昧な理解しか有していないことだ。カトリック教義は神の存在を主張し、聖書には数多くの天使たちが登場し、聖典には多くの奇跡の話が記述されているが、それでは「死んだ人間が行く世界は」と聞くと非常に不明瞭な返答しか戻ってこない。
今月17日の「主の昇天」の日、オーストリアのエゴン・カペラリ司教(Egon Kapellari)は「キリスト教の意味から、天国は物理的な空間を意味せず、神との永遠の祝福された関係だ。昇天とは、復活したイエスが大気圏を越えて宇宙空間に飛び出すことを意味しない」と主張する。同司教の説明は非常に曖昧模糊としている。その理由は司教が霊界という言葉を使用しないからだ。昇天されたイエスや聖人、死者たちは今、どこにいるのか。地上で悪事を働いた人が行くという地獄はどこか。
人間の体が住む物理的な空間の世界(地上界)と同様、人間の心の世界が住む所を霊界と呼ぶのではないか。地上で起きる不可思議な現象や超自然現象はこの心の世界から発信されたものと関わりがあるケースが少なくないはずだ。
バチカンが霊的現象を恐れる大きな理由は、バチカンの教えと霊的世界からの発信内容が一致しないことが少なくないからだ。実例を挙げて説明しよう。一人の敬虔な修道女がある日、夢の中でイエスに会った。イエスは修道女に自身の生涯を語ったが、その内容はこれまで聞いてきたものとは全く異なっていた。そこで修道院長に報告し、その内容はバチカンまで伝わった。バチカンは直ぐにその修道女を呼び、その夢の内容を公表しないように強く釘を刺すと共に、修道院から外出しないように監禁したのだ。

▲ファティマの聖母マリア出現地(1997年5月、ファティマで撮影、当方の取材ノートから)
バチカン教理省のインターネット上で公表されたバチカン文書によると、教区司教たちは超自然現象に関する情報を入手した場合、それを慎重に検証するように求められている。その現象がポジチブに評価された場合、司教たちはルルド(フランス)、ファティマ(ポルトガル)、グアダルーペ(メキシコ)のような聖母マリアの出現地として承認できる。ただし、超自然現象を悪用したり、そこから誤った教義を引き出す動きに対しては阻止・回避する義務がある。
超自然現象の評価に関する規約は1978年に既に作成されたが、司教たちに内々伝達されただけだった。個人的啓示は決してイエスの啓示を補足、ないしは修正するものではないが、信仰に新しいアクセントと敬虔さを生み出すことはできるから、無視して放棄するべきではない、という説明が付いている。
バチカン法王庁は「奇跡」や「霊現象」には非常に慎重な姿勢を取ってきたことは周知の事だ。カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」だ。その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題としてきた。
このコラム欄にも数回紹介したが、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ西約50キロにあるメジュゴリエで1981年6月、聖母マリアが2人の少女たちに顕現し、数多くの奇跡が起きている。通称「メジュゴリエの奇跡」と呼ばれ、これまで1000万人以上の巡礼者が訪れているが、バチカンはこれまで公認していない。ただし、ローマ法王ベネディクト16世は2008年7月、「メジュゴリエ聖母マリア再臨真偽調査委員会」を設置し、奇跡の真偽の調査に乗り出している。
ちなみに、バチカンが聖母マリアの再臨として公認した有名な巡礼地には、ルルドとファティマがある。フランス南西部ルルドで1858年、聖母マリアが14歳の少女、ベルナデッタ・スビルーに顕現。そこから湧き出る水を飲むと病が癒されるといった現象が起きている(毎年約600万人の人々がルルドを巡礼する)。ポルトガルのファティマ(1917年5月)でも聖母マリアが羊飼いの3人の子供たちに顕れ、有名な“第3の予言”を伝えている。
ところで、今回、なぜ、バチカンが超自然現象を恐れるかを考えてみた。一つは、偽預言者や偽りの教えが広がることを恐れているからだろう。その懸念は理解できる。聖書の中でも「終わりの時には偽キリスト、預言者が出現する」と警告を発している。もう一つは、バチカンが霊的世界の存在について非常に曖昧な理解しか有していないことだ。カトリック教義は神の存在を主張し、聖書には数多くの天使たちが登場し、聖典には多くの奇跡の話が記述されているが、それでは「死んだ人間が行く世界は」と聞くと非常に不明瞭な返答しか戻ってこない。
今月17日の「主の昇天」の日、オーストリアのエゴン・カペラリ司教(Egon Kapellari)は「キリスト教の意味から、天国は物理的な空間を意味せず、神との永遠の祝福された関係だ。昇天とは、復活したイエスが大気圏を越えて宇宙空間に飛び出すことを意味しない」と主張する。同司教の説明は非常に曖昧模糊としている。その理由は司教が霊界という言葉を使用しないからだ。昇天されたイエスや聖人、死者たちは今、どこにいるのか。地上で悪事を働いた人が行くという地獄はどこか。
人間の体が住む物理的な空間の世界(地上界)と同様、人間の心の世界が住む所を霊界と呼ぶのではないか。地上で起きる不可思議な現象や超自然現象はこの心の世界から発信されたものと関わりがあるケースが少なくないはずだ。
バチカンが霊的現象を恐れる大きな理由は、バチカンの教えと霊的世界からの発信内容が一致しないことが少なくないからだ。実例を挙げて説明しよう。一人の敬虔な修道女がある日、夢の中でイエスに会った。イエスは修道女に自身の生涯を語ったが、その内容はこれまで聞いてきたものとは全く異なっていた。そこで修道院長に報告し、その内容はバチカンまで伝わった。バチカンは直ぐにその修道女を呼び、その夢の内容を公表しないように強く釘を刺すと共に、修道院から外出しないように監禁したのだ。
