オーストリア国営放送の夜のニュース番組を見ていたら、「ドナウ川で、リビアのカダフィ政権下で首相や石油相を務めたシュクリ・ガネム氏(Shokri Ghanem)の遺体が発見された」という。最初はピンとこなかったが、その写真を見てビックリした。あのガネム氏(69)ではないか。

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▲不審な死を遂げたリビアのガネム元首相・石油相(アメール・ベアティ氏提供)

 ウィーン警察が29日発表したところによると、遺体は同日午前に発見され、暴行の形跡はないという。 どうしてガネム氏の遺体がドナウ川で見つかったのか。警察側は30日にも司法解剖する予定だ。


 当方は同氏とはウィーンの石油輸出国機構(OPEC)の副事務局長(調査局長)時代から知り合いだ。数回、インタビューにも応じてもらったことがある。気さくな性格で太っ腹なところがあるアラブの紳士というイメージがあった。


 カダフィ大佐の要請でリビアに戻った後、2003年から06年まで首相を務め、06年後は国営石油会社NOCのトップに就任したが、民主改革が勃発後、昨年5月、カダフィ政権から離脱してウィーンに政治亡命した、という憶測情報が流れていた。なぜならば、ウィーン市内に家族が住んでいるからだ。


 当方は昨年、「ウィーン市とガネム石油相の関係」11年5月21日)というコラムを書いた。ぜひ、再読をお願いする、ガネム氏の今回の死を考える上で参考になるはずだからだ。同氏はカダフィ大佐の腹心として石油ビジネスで稼いだ富をウィーンやスイスの銀行に管理していたはずだ。ガネム氏がウィーン市20区にペントハウスを持ち、会社を経営していたことも分かっている。

 同氏はOPEC時代、カダフィ大佐の息子、セイフ・アル・イスラム・カダフィ氏のアドバイサーのような立場だった。セイム・イスラム氏が留学中(1998年から2000年までウィーン大学で経済学)、ガネム氏はセイフ・イスラム氏のためにさまざまな雑務をこなしてきたはずだ。同時に、「ウィーンのカジノで30万ドルを賭けるなど、その豪遊ぶりはマフィアのボスのようだった」という噂もあった。リビアでカダフィ政権打倒の民主化運動が始まった時、ガネム氏は「カダフィ政権と袂を分かつ潮時を迎えた」(中東問題専門家アミール・ベアティ氏)と判断を下したのだろう。ベアティ氏によると、ガネム氏の死について、/澗“作、⊆殺、殺害の3つのシナリオが考えられるという。


 ガネム氏の人生は終始、リビアの石油ビジネスと深くかかわってきた。その富を巡ってさまざまな紛争、闘争があったはずだ。スーダンと南スーダンの紛争をみていても痛感することだが、石油の利権争いが人間を富の追求に駆りたたせ、民族・国家を紛争に誘う。ガネム氏の冥福を祈る。