夏の昼下がり、友人にアイスクリームを買ってアパートに戻ったが、アパートに着く直前、アイスクリームが地べたに落ちってしまった。戸を開けるブザーが鳴った時、アイスクリームはもう手になかった。
▲時計塔(グラーツ市観光局のHPから)
散歩から戻ってきた当方を見て友人は何もいわなかった。当方もアイスクリームを買ってきたが、部屋に入る前に落ちてしまったとは説明しなかった。当時、友人とは気まずい関係が続いていた。そこでアイスクリームを友人に買って帰ろうと考えた。友人との仲を取り持ってくれるはずだった肝心のアイスクリームは落ちた。何も言わず、自分の部屋に戻った。
▲エッゲンベルク城(グラーツ市観光局のHPから)
欧州に滞在して今年で32年目を迎えたが、欧州初年の夏のアイスクリームのこと、それが落ちた瞬間のやるせない思いを今でも不思議と鮮明に思い出す。
当方は当時、リパプールからロンドン、ドイツ経由でオーストリア南部のグラーツ市(Graz)に移動した。1980年の夏だ。音楽の都ウィーンをじっくり見ることもなく、列車でグラーツに直行した。グラーツ中央駅には2人の友人が当方を迎えに来てくれた。
それから1年余り、グラーツ市に住んだ。時間が許す限り、独語を勉強した。ベンチに横になりながら、単語帳を開き、勉強した。多分、その時、リチャード・クレイダーマンのピアノ演奏曲が流れていたのだろう。そのピアノ演奏曲を聴くたび、グラーツのあの夏の日々が脳裏を駆け巡る。ピアノから流れる感傷的な曲とグラーツの日々が当方の頭の中でくっ付いてしまった。
あれからいろいろなことがあったが、グラーツ市の日々は当方の中では特別な位置を占めている。まだ家庭を持たず、一人だったこともあるが、欧州で生きのびていくために一人で葛藤し、悩んでいた時代だ。その意味で、グラーツは当方の青春の日々を過ごした町だ。
最後に、読者にグラーツ市を紹介する。グラーツ市はシュタイアーマルク州の州都だ。人口は約25万人程度でオーストリア第2の都市。ウィーンから南に向かって車で3時間ほど飛ばすと着く。そのドイツ語はシュタイリッシュと呼ばれ、一種の方言だ。ウィーンっ子に馬鹿にされることもあるが、グラーツの人々は結構誇り高い(当方は英語をリバプールで、ドイツ語をグラーツで学んだ。ロンドンでクィーンズイングリュシュを、ハンブルクで標準ドイツ語を学ぶことができなかった。その結果、当方の英語は今なお、リバプール・イングリュシュ的、ドイツ語はシュタイリッシュ的になってしまった)。
同市の観光名所としては、エッゲンベルク城とグラーツェ・シュロスベルクの時計塔だ。高台の時計塔から市内を俯瞰できる。時計塔に上がって、そこから町の風景を眺め、エッゲンベルク城の中庭のベンチに座って鳥たちを見つめていた日々が懐かしい。ちなみに、同州出身者の著名人としては、なんといっても俳優のアーノルト・シュワルルツェネッガー氏だろう。
▲時計塔(グラーツ市観光局のHPから)
散歩から戻ってきた当方を見て友人は何もいわなかった。当方もアイスクリームを買ってきたが、部屋に入る前に落ちてしまったとは説明しなかった。当時、友人とは気まずい関係が続いていた。そこでアイスクリームを友人に買って帰ろうと考えた。友人との仲を取り持ってくれるはずだった肝心のアイスクリームは落ちた。何も言わず、自分の部屋に戻った。
▲エッゲンベルク城(グラーツ市観光局のHPから)
欧州に滞在して今年で32年目を迎えたが、欧州初年の夏のアイスクリームのこと、それが落ちた瞬間のやるせない思いを今でも不思議と鮮明に思い出す。
当方は当時、リパプールからロンドン、ドイツ経由でオーストリア南部のグラーツ市(Graz)に移動した。1980年の夏だ。音楽の都ウィーンをじっくり見ることもなく、列車でグラーツに直行した。グラーツ中央駅には2人の友人が当方を迎えに来てくれた。
それから1年余り、グラーツ市に住んだ。時間が許す限り、独語を勉強した。ベンチに横になりながら、単語帳を開き、勉強した。多分、その時、リチャード・クレイダーマンのピアノ演奏曲が流れていたのだろう。そのピアノ演奏曲を聴くたび、グラーツのあの夏の日々が脳裏を駆け巡る。ピアノから流れる感傷的な曲とグラーツの日々が当方の頭の中でくっ付いてしまった。
あれからいろいろなことがあったが、グラーツ市の日々は当方の中では特別な位置を占めている。まだ家庭を持たず、一人だったこともあるが、欧州で生きのびていくために一人で葛藤し、悩んでいた時代だ。その意味で、グラーツは当方の青春の日々を過ごした町だ。
最後に、読者にグラーツ市を紹介する。グラーツ市はシュタイアーマルク州の州都だ。人口は約25万人程度でオーストリア第2の都市。ウィーンから南に向かって車で3時間ほど飛ばすと着く。そのドイツ語はシュタイリッシュと呼ばれ、一種の方言だ。ウィーンっ子に馬鹿にされることもあるが、グラーツの人々は結構誇り高い(当方は英語をリバプールで、ドイツ語をグラーツで学んだ。ロンドンでクィーンズイングリュシュを、ハンブルクで標準ドイツ語を学ぶことができなかった。その結果、当方の英語は今なお、リバプール・イングリュシュ的、ドイツ語はシュタイリッシュ的になってしまった)。
同市の観光名所としては、エッゲンベルク城とグラーツェ・シュロスベルクの時計塔だ。高台の時計塔から市内を俯瞰できる。時計塔に上がって、そこから町の風景を眺め、エッゲンベルク城の中庭のベンチに座って鳥たちを見つめていた日々が懐かしい。ちなみに、同州出身者の著名人としては、なんといっても俳優のアーノルト・シュワルルツェネッガー氏だろう。