音楽の都ウィーン市には世界から観光客が訪れる。国家財政の赤字を観光収入で補填できる文字通りの観光都市だ。そのウイーン市の観光の目玉はなんといってもモーツァルトを筆頭とする音楽家たちだ。それにオーストリアのローマ・カトリック教会の精神的支柱、シュテファン大聖堂(Stephansdom)だろう。ゴシック様式の同聖堂は世界第2次戦争で破壊されたが、1952年4月27日に再建された。27日はちょうど再建60年目に当たる。

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▲ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂内(2012年4月26日撮影)

 大聖堂は1945年4月に破壊され、南塔のプムメリン(鐘)も落下した。戦争終了直後、復旧作業が始まり、7年の月日をかけて修復された。再建費は各州からの寄付で賄われた。

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▲シュテファン大聖堂のファサード(2012年4月26日撮影)

 再建記念礼拝には、ローマ法王ピウス12世(在位1939年〜58年)から祝賀メッセージが送られ、同国の司教たち、テオドール・ケルナー大統領、連邦政府関係者らが参加した。
 ウィーン大司教区のインニッツァー枢機卿は当時、「大聖堂はわが国の中枢であり、民族の聖なる会堂となった」と述べている。ピウス12世も「あなた方が成し遂げた大聖堂再建は偉大な功績だ。あなた方の強固な意志を表示している」と賞賛している。
 なお、シュテファン大聖堂はモーツァルトとコンスタンツェが1782年8月4日、結婚式を行った教会としても有名だ。南塔は107メートルの高さで世界第3番目に高い。


 
【短信】離婚規制緩和を要求するコプト派


 エジプトの少数宗派(人口の約1割)、キリスト教のコプト派のグループ「コプト38」はこのほどカイロで記者会見をし、「離婚を認めるように」と主張し、1938年の離婚に関する規約の履行を求めた。
 1938年の規約では、少なくとも7年の刑期を受けた場合、5年間、家族を見捨てた場合、慢性の病気、精神病、性的不能、解決不能な対立などの場合、離婚が認められてきた。しかし、コプト派最高指導者、シュヌーダ3世総主教がこの規約を廃止したため、コプト派信者には結婚の無効は「パートナーの不貞」と「イスラム教への改宗」の2つの道しかなかった。そのため、毎年、多くのコプト派信者が離婚するためにイスラム教に改宗した。