ノルウェーのオスロ政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害したアンネシュ・ブレイビク容疑者(33)は20日、「ウトヤ島で69人の若者を射殺する時、どのように感じたか」という質問に答え、「何も感じなかった。なぜならば、自分は大量殺人を実行するために感情を殺す訓練してきたからだ」と述べている。
同容疑者の話によると、2006年まで「自分は情的な人間だった」が、大量殺人を計画した後は感情を殺す訓練を繰りかえしてきた。そのために、戦闘ビデオを繰り返し見てきたというのだ。
独週刊誌シュピーゲル電子版は20日、“Entemotionalisierung”という独語を使用している。エモーション化という名詞に「奪取」を意味する接頭辞「ent」がつく。この独語に初めて会った当方はその言葉の恐ろしさを直感した。そんなこと可能だろうか、という素朴な疑問と、感情を抹殺していく訓練を繰り返した容疑者の日々を考えたからだ。
容疑者は「感情を殺せないようでは人を殺害できない」という。そのため、人を殺すために、感情を抹殺するトレーニングを繰り返してきたという。別の言葉では、dehumanisiertという言葉も使用されていた。自身と殺害対象の脱人間化(物質化)、といった意味だ。
脱感情化、脱人間化の訓練を繰り返し、77人を殺害した容疑者は「本来はウトヤ島にいった569人全てを殺すつもりだった」と告白している。容疑者は実際、公判を見守る犠牲者の家族たちに対しても何の感情も見せていない。ただ一度、公判で自身が作成したビデオを見、そこに流れる音楽を聴いて「思わず涙が出てきた」というだけだ。
当方はこのコラム欄で「戦場の傷ついた兵士たち」2012年1月16日)を書いたが、そこで「イラク・アフガン戦争の米帰還兵の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)問題に悩まされて、日常生活に復帰できずに葛藤する」と述べたが、彼らは戦場に派遣される前にビデオを通じて戦場での戦いを訓練することは良く知られている。自分をテンプル騎士団の騎士とみなし、武装闘争を宣言したオスロの容疑者も同じように殺人の訓練をしたのだ。
容疑者の状況を宗教的に表現すれば、容疑者は自身の計画を履行するため自身の良心を眠らせる訓練を繰り返した。その結果、悪の霊が容疑者に侵入しやすい状況が生まれたのだ。時間の経過と共に、悪の霊は容疑者を占領し、良心が機能しないようにガンジガラメにしていったわけだ。換言すれば、容疑者は自分の良心を悪の手に売り渡してしまったのだ。
裁判では容疑者の「責任能力の有無」が焦点だが、公判には全く異なる2つの精神鑑定が提出されている。昨年11月には、「容疑者は偏執病精神分裂者(paranoider Schizophrenie)」という鑑定結果が出され、今月10日の鑑定結果では「責任能力がある」という。
容疑者は弁護士に、「自分を無罪として釈放するか、死刑にすべきだ」と述べている。容疑者は刑務所や精神病棟で脱感情化の状況から目覚めることを無意識に恐れている。同時に、容疑者は前者の鑑定結果を恐れ、自身の「責任能力」に拘る。なぜならば、容疑者としては犯行を自身の手で遂行したことを宣言できる唯一の道だからだ。容疑者に「罪と罰」(ドストエフスキー著)の主人公、ラスコーリニコフのように人間性の回復を期待できるだろうか。
同容疑者の話によると、2006年まで「自分は情的な人間だった」が、大量殺人を計画した後は感情を殺す訓練を繰りかえしてきた。そのために、戦闘ビデオを繰り返し見てきたというのだ。
独週刊誌シュピーゲル電子版は20日、“Entemotionalisierung”という独語を使用している。エモーション化という名詞に「奪取」を意味する接頭辞「ent」がつく。この独語に初めて会った当方はその言葉の恐ろしさを直感した。そんなこと可能だろうか、という素朴な疑問と、感情を抹殺していく訓練を繰り返した容疑者の日々を考えたからだ。
容疑者は「感情を殺せないようでは人を殺害できない」という。そのため、人を殺すために、感情を抹殺するトレーニングを繰り返してきたという。別の言葉では、dehumanisiertという言葉も使用されていた。自身と殺害対象の脱人間化(物質化)、といった意味だ。
脱感情化、脱人間化の訓練を繰り返し、77人を殺害した容疑者は「本来はウトヤ島にいった569人全てを殺すつもりだった」と告白している。容疑者は実際、公判を見守る犠牲者の家族たちに対しても何の感情も見せていない。ただ一度、公判で自身が作成したビデオを見、そこに流れる音楽を聴いて「思わず涙が出てきた」というだけだ。
当方はこのコラム欄で「戦場の傷ついた兵士たち」2012年1月16日)を書いたが、そこで「イラク・アフガン戦争の米帰還兵の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)問題に悩まされて、日常生活に復帰できずに葛藤する」と述べたが、彼らは戦場に派遣される前にビデオを通じて戦場での戦いを訓練することは良く知られている。自分をテンプル騎士団の騎士とみなし、武装闘争を宣言したオスロの容疑者も同じように殺人の訓練をしたのだ。
容疑者の状況を宗教的に表現すれば、容疑者は自身の計画を履行するため自身の良心を眠らせる訓練を繰り返した。その結果、悪の霊が容疑者に侵入しやすい状況が生まれたのだ。時間の経過と共に、悪の霊は容疑者を占領し、良心が機能しないようにガンジガラメにしていったわけだ。換言すれば、容疑者は自分の良心を悪の手に売り渡してしまったのだ。
裁判では容疑者の「責任能力の有無」が焦点だが、公判には全く異なる2つの精神鑑定が提出されている。昨年11月には、「容疑者は偏執病精神分裂者(paranoider Schizophrenie)」という鑑定結果が出され、今月10日の鑑定結果では「責任能力がある」という。
容疑者は弁護士に、「自分を無罪として釈放するか、死刑にすべきだ」と述べている。容疑者は刑務所や精神病棟で脱感情化の状況から目覚めることを無意識に恐れている。同時に、容疑者は前者の鑑定結果を恐れ、自身の「責任能力」に拘る。なぜならば、容疑者としては犯行を自身の手で遂行したことを宣言できる唯一の道だからだ。容疑者に「罪と罰」(ドストエフスキー著)の主人公、ラスコーリニコフのように人間性の回復を期待できるだろうか。