ウィーン市の文化評議会は19日、市内1区、議会から大学までのストリートをDr.-Karl-Lueger-Ring(ドクター・カール・ルエガー・リンク)から今夏までにUniversitatsring(大学リンク)に改名することを明らかにした。
▲ウィーン大学前の「ドクター・カール・ルエガー・リンク」の看板(2012年4月21日撮影)
通りの改名はこれまで社会民主党、「緑の党」が要請してきた一方、同通りにあるウィーン大学のハインツ・エングル総長は大学創設650周年を迎える2015年までに新通り名を強く求めてきた経緯がある。
その理由は、2つある。ルエガー(1844年〜1910年)は1897年から1910年までウィーン市長を務めた政治家だが、反ユダヤ主義者としても有名だった。彼は当時、「ウィーン市から全てのユダヤ人が出て行けば幸せだ」と発言している。「イスラエルを地図上から抹殺してしまえ」と発言したイランのアハマディネジャド大統領を彷彿させる暴言だ。その上、同市長は知識人を嫌悪し、高等教育には消極的だったことで知られている。
ただし、ルエガーは市長時代、市の近代化を実施し、市民から愛された政治家だった。そのため、死後、市庁舎に近いリングに市長の名前をつけたストリートが生まれ、市内にはその名を付けた広場があるほどだ。ちなみに、同国日刊紙クリアによると、市長の葬儀行進には多数の若者たちも加わったが、その中には若き時代のアドルフ・ヒトラーが参加していたという。
ウィーン市の決定にオーストリアのイスラエル文化同盟は歓迎しているが、もちろん、反対者もいる。「ストリート名を変更すれば、それに伴うさまざまな書類や文献の変更を余儀なくされる。名刺のアドレスも変更しなければならない」と受け取る企業や店主たちがいる。名称変更に伴う事務的、経済的負担が理由だ。
それだけではない。「社民党は市内のドナウ島にキューバ革命のゲリラ指導者チェ・ゲバラの胸像を建立した。その判断基準
が明確ではない」と指摘し、社民党の一貫性のない立場を皮肉る声もある一方、極右派政党の自由党は「左翼の文化テロだ」と批判している、といった具合だ。
ウィーン市側は「今回のストリート名の変更はあくまで例外的な決定だ」と釘を刺している。なぜならば、ルエガーだけではない。反ユダヤ主義者だった歴史的人物の名前を冠した地名や場所が市内にはまだある。それらを次々と変更していけば、市民だけではなく、音楽の都ウィーンを訪れる観光客にも混乱を与えるからだ。
▲ウィーン大学前の「ドクター・カール・ルエガー・リンク」の看板(2012年4月21日撮影)
通りの改名はこれまで社会民主党、「緑の党」が要請してきた一方、同通りにあるウィーン大学のハインツ・エングル総長は大学創設650周年を迎える2015年までに新通り名を強く求めてきた経緯がある。
その理由は、2つある。ルエガー(1844年〜1910年)は1897年から1910年までウィーン市長を務めた政治家だが、反ユダヤ主義者としても有名だった。彼は当時、「ウィーン市から全てのユダヤ人が出て行けば幸せだ」と発言している。「イスラエルを地図上から抹殺してしまえ」と発言したイランのアハマディネジャド大統領を彷彿させる暴言だ。その上、同市長は知識人を嫌悪し、高等教育には消極的だったことで知られている。
ただし、ルエガーは市長時代、市の近代化を実施し、市民から愛された政治家だった。そのため、死後、市庁舎に近いリングに市長の名前をつけたストリートが生まれ、市内にはその名を付けた広場があるほどだ。ちなみに、同国日刊紙クリアによると、市長の葬儀行進には多数の若者たちも加わったが、その中には若き時代のアドルフ・ヒトラーが参加していたという。
ウィーン市の決定にオーストリアのイスラエル文化同盟は歓迎しているが、もちろん、反対者もいる。「ストリート名を変更すれば、それに伴うさまざまな書類や文献の変更を余儀なくされる。名刺のアドレスも変更しなければならない」と受け取る企業や店主たちがいる。名称変更に伴う事務的、経済的負担が理由だ。
それだけではない。「社民党は市内のドナウ島にキューバ革命のゲリラ指導者チェ・ゲバラの胸像を建立した。その判断基準
が明確ではない」と指摘し、社民党の一貫性のない立場を皮肉る声もある一方、極右派政党の自由党は「左翼の文化テロだ」と批判している、といった具合だ。
ウィーン市側は「今回のストリート名の変更はあくまで例外的な決定だ」と釘を刺している。なぜならば、ルエガーだけではない。反ユダヤ主義者だった歴史的人物の名前を冠した地名や場所が市内にはまだある。それらを次々と変更していけば、市民だけではなく、音楽の都ウィーンを訪れる観光客にも混乱を与えるからだ。