ノルウェーのオスロ政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害したアンネシュ・ブレイビク容疑者(33)の公判が16日から始まった。同容疑者は犯行前に「2083」というタイトルで1500ページを超える宣言文を発表し、そこで反イスラム教を主張し、ノルウェーのリベラルな多文化主義を批判している。

 どのような繋がりがあるのか不明だが、容疑者はこれまで数回、「日本」に言及している。犯行直後、精神鑑定医には日本人が理想だと述べ、17日の意見陳述の中で「日本と韓国は単一文化が保たれている完全な社会だ。人々の調和が取れている」と賞賛している。

 容疑者が日本に関心があることは分かるが、「日本が完全な国家」どころか、多くの難問と課題を抱えている国であることは日本人ならば誰でも知っている。毎年、3万人以上の自殺者を出す国が完全であるはずがない。
 ただし、容疑者が日本を評価するのは「単一民族国家だ」という点にあるのだろう。多民族が交差し、無数の戦争と紛争を経験してきた欧州諸国からみれば、日本は驚嘆に値する国だろう。外国人の割合は低く、イスラム教徒の数に到っては問題外だ。しかし、だから「日本は調和が取れた完全な国」と結論付けることは大きな間違いだ。

 欧州の犯罪統計では必ず、犯罪総件数に対する外国人の犯罪比率という項目がある。そして欧州では例外なく、外国人による犯罪件数が増加傾向にある。また、欧州社会には今日、約1400万人のユーロ・イスラムが住んでいる。彼らは通常、世俗イスラム教徒と呼ばれ、過激なイスラム主義とは一定の距離を置くが、国際テログループはインターネットなどを通じて激しい思想攻撃を掛けてきた。ターゲットはイスラム系移住者の2世たちだ。欧州のテロ問題専門家たちは「ホームグロウン・テロリストの脅威が欧州社会で高まってきている」と警告を発して久しい。

 同時に、欧州の政治家の中にも多文化主義に懐疑的な声が増えてきた。メルケル独首相は2010年10月16日、「多文化主義は完全に失敗した。わが国は今後、統合された社会建設を目指さなければならない」と述べて、注目された。これは国内のイスラム系住民がゲットーを構築し、テロの温床となる危険性を回避するため、移住者への社会統合政策の強化が急務だというのだ。戦後ドイツ移住者政策の大きな転換を意味する重要発言だった。

 オスロ容疑者の多文化主義への批判、単一民族の日本社会への評価は一つの見解としては理解できる。容疑者のように考える極右派政治家は実際、欧州では少なくない。しかし、彼らの多くは、自分をテンプル騎士団の騎士とみなし、武装闘争を宣言したオスロの容疑者とは違い、現行の政治的枠組みの中でその戦いに挑んでいる。

 単一民族による国家形成は21世紀の今日、その是非は別として非現実的だ。グローバル社会でインターネットを通じて全世界が結ばれている現在、多くの民族、国家が固有の文化を維持しながら交流していく時代に入っている。軋轢や対立が生じることもあるだろうが、それ以外の選択肢はない。厳密な意味では日本ももはや単一民族国家ではない。

 オスロ容疑者は「2083年までに保守革命を終える」(宣言文)ため、時代という時計の針を戻そうと腐心し、狂気の虜になってしまったのだ。