第84回アカデミー賞授賞式が26日(日本時間27日)、ハリウッドで行われ、多数の映画人、俳優たちが華やかなドレス姿で顔を見せた。その中に英国人コメディアンのバロン・コーエン(Baron Cohen)さんがリビアの故カダフィ大佐の装いで登場し、手には骨瓶を持っていた。コーエンさんの説明によると、その骨瓶には火葬された北朝鮮の金正日労働党総書記の灰が入っているという。開場入口正面の赤のジュータンにくると、その灰を撒く仕草をして周囲の観衆やカメラマンたちを笑わせた。
 コーエンさんには悪いが、金総書記は火葬されず、その遺体は錦繍山記念宮殿て保存されているから、その灰は存在しないが、故金総書記が映画好きだったことは周知の事実だ。
 金総書記の専属寿司職人だった藤本健二氏の著書を読むと、金総書記が別荘に映画館を作り、そこで世界の映画を楽しんでいたという。自身も映画監督を務め、さまざまな映画を作ったほどだ。
 映画では一言居士の金総書記が健在ならば、映画界のメッカ・ハリウッドを訪れ、アカデミー賞授賞式に一度は参加したかっただろう。その意味で、コーエンさんは金総書記の願いを叶えてやったわけだ。
 ところで今回のアカデミー作品賞はフランスの無声映画「アーティスト」(ミシェル・アザナビシウス監督)に決まった。同映画はその他、主演男優賞(ジャン・デュジャルダンさん)など5冠に輝いた。第84回授賞式は文字通り、フランス映画が独占したわけだ。
 当方は「アーティスト」をまだ観ていないので多くを語れないが、「無声映画」の受賞は大きな社会的出来事と受け取っている。なぜならば、現代社会は余りにも喧騒であり、口角泡を飛ばすシーンが到る所で見られる時代だ。沈黙より、議論が評価される。正しいと信じるならば、それを説明しない限り相手を説得できない社会だ。罪悪人でもスター弁護士を雇うならば、その弁舌で無罪を勝ち取ることすら可能な社会だ。少し飛躍するが、日本が国際社会でその存在感を失った主因はその経済力の衰退にあるのではなく、国際社会での弁舌能力の欠如にある、といっても言い過ぎではないだろう。
 そのような時代の社会で、何も喋らない、顔の表情とその仕草で相手にその意思を伝達する「無声映画」が評価されたのだ。画期的な出来事だ。映画のメッカ・ハリウッドで「無声映画」が評価されたということは、映画人の単なるノスタルジアではなく、多弁と饒舌が支配する世界で“無声の価値”が再発見された結果ではないか。換言すれば、人間の表情、仕草が多弁を凌ぐ豊かさと感動を内包しているという事実の再確認でもあるわけだ。ちなみに、「アーティスト」では(喋らない)犬(Uggie)が人気者となり、アカデミー“動物賞”があれば受賞確実といわれるほどの演技を見せたという。