ブロガーの一人として、読者が思わず微笑むような記事を書いてみたいと思っている。実際、書いている記事やコラムは残念ながら「笑みがこぼれる」というより、読んで憂鬱になってしまうような内容が多い。また、批判が先行してなかなか本質が見えてこない内容も少なくないだろう。
ところで、「これはいい話だ」という記事を見つけた。日刊紙「クリア」の24日付に掲載されていた記事だ。ストーリーを紹介する。48歳の浮浪者ヘルマン・シュライヒェルト氏は昨年12月26日、路上で7000ユーロを拾った。日本円で約100万円相当の大金だ。浮浪者でなくても「これはひょっとしたらクリスマス・プレゼントではないか」と考えても不思議ではない。また、「神様が暖かい部屋もない自分を哀れに思い、一日遅れだが贈り物をしてくれた」と勝手に理解して懐に入れてしまう事だってあり得たことだ。
しかし、浮浪者のヘルマン氏は最寄の警察署に7000ユーロを届けたのだ。持ち主は後日見つかり、大金は無事、持ち主に戻った。ハッピー・エンドだ。ここまでの話は多くはないが、時たま聞く話だ。
もちろん、拾ったお金を警察に届けることは当然のことで、それを自分のものにすれば犯罪だ。だから、ヘルマン氏の行動は一市民として当然のことで、特筆に値しない、と指摘さればその通りだが、大金を見つけた人物が困窮下にある浮浪者だ。そのヘルマン氏が大金を拾い、それを「一瞬の躊躇もなく」(同氏)、警察に届けたのだ。
話は「その後」だ。ヘルマン氏の正直さに感動したウィーンの市民から仕事のオファが出てくる一方、献金も集まってきたのだ。ヘルマン氏に大金を見つけてもらった持ち主も正直者ヘルマン氏の将来を心配して定期的に電話をかけてくるという。
クリア紙によれば、ヘルマン氏は先日、集まった献金で30平方メートルの小部屋を借りることができた。「人生で初めて自分の部屋を持つことができた」と大喜びだ。そして、3月1日にはウィーン市内の高級ホテルで仕事を始めるというのだ。
昨年12月26日はクリスマス明けでローマ・カトリック教国では聖シュテファンの日と呼ばれる祝日だ。ヘルマン氏は同日を堺に、一人の浮浪者から住む家と職場をもつ普通の市民となったのだ。
「宝くじで一等賞に当たったような気分だ」と、短期間に生活環境が急変して、当のヘルマン氏自身も驚いているという。
ところで、「これはいい話だ」という記事を見つけた。日刊紙「クリア」の24日付に掲載されていた記事だ。ストーリーを紹介する。48歳の浮浪者ヘルマン・シュライヒェルト氏は昨年12月26日、路上で7000ユーロを拾った。日本円で約100万円相当の大金だ。浮浪者でなくても「これはひょっとしたらクリスマス・プレゼントではないか」と考えても不思議ではない。また、「神様が暖かい部屋もない自分を哀れに思い、一日遅れだが贈り物をしてくれた」と勝手に理解して懐に入れてしまう事だってあり得たことだ。
しかし、浮浪者のヘルマン氏は最寄の警察署に7000ユーロを届けたのだ。持ち主は後日見つかり、大金は無事、持ち主に戻った。ハッピー・エンドだ。ここまでの話は多くはないが、時たま聞く話だ。
もちろん、拾ったお金を警察に届けることは当然のことで、それを自分のものにすれば犯罪だ。だから、ヘルマン氏の行動は一市民として当然のことで、特筆に値しない、と指摘さればその通りだが、大金を見つけた人物が困窮下にある浮浪者だ。そのヘルマン氏が大金を拾い、それを「一瞬の躊躇もなく」(同氏)、警察に届けたのだ。
話は「その後」だ。ヘルマン氏の正直さに感動したウィーンの市民から仕事のオファが出てくる一方、献金も集まってきたのだ。ヘルマン氏に大金を見つけてもらった持ち主も正直者ヘルマン氏の将来を心配して定期的に電話をかけてくるという。
クリア紙によれば、ヘルマン氏は先日、集まった献金で30平方メートルの小部屋を借りることができた。「人生で初めて自分の部屋を持つことができた」と大喜びだ。そして、3月1日にはウィーン市内の高級ホテルで仕事を始めるというのだ。
昨年12月26日はクリスマス明けでローマ・カトリック教国では聖シュテファンの日と呼ばれる祝日だ。ヘルマン氏は同日を堺に、一人の浮浪者から住む家と職場をもつ普通の市民となったのだ。
「宝くじで一等賞に当たったような気分だ」と、短期間に生活環境が急変して、当のヘルマン氏自身も驚いているという。