ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世は15日、神学生たちを前に聖パウロの「ローマ人への手紙」を引用し、「新約聖書で言及される“世界”という言葉には二通りの意味がある。一つは神が創造された世界であり、もう一つは原罪が反映した罪の中に蠢く世界だ」と指摘し、「金融界とメデイアの世界」でその魔力が乱用されているという。換言すれば、「金融界とメディア」が現代の悪の手先となっているというのだ。
法王は続ける。「金融界は人間を支配し、物的所有と虚像の世界が覆い、人間を奴隷化している。金融は人間の真の幸福を促進させる手段ではなくなった。金銭、物質が神のように崇拝され、世界を支配している」
もう一つの悪の力、メディアに対しては「本来善であるべきメディアが悪用されている。われわれは世界の現状を認識する上で情報が必要だが、メディアは現実を歪曲し、人が真理に従うことを許さない。メディアが構築した虚像の世界に適応せざるを得なくなる。しかし、われわれは、虚像の世界に生き、そこで称賛されることを求めず、真の自由を与える真理を追究すべきだ」と語りかける。
ドイツ出身の学者法王ベネディクト16世の話はいつもの事ながら簡明だ。それでいて、聞く者を考えさせる力を持っている。法王が自身の信念を誰に憚ることなく大胆に主張しているからだろう。
法王から「悪の手先」と名指しで批判された「金融界」と「メディア」も本来は人間に幸福をもたらす「良きもの」だったはずだ。「金融界」や「メディア」そのものに善も悪もない。それらを「善」とするか、「悪」とするかは結局は「われわれ」次第だ。誰が問題ではなく、「われわれ」の生き方が問題だ。ベネディクト16世の話の中心ポイントもそこにあるのだろう。
付け加えていえば、米ニューヨークの金融街で始まった「反ウォール街デモ」参加者たちの主張も自身の内省を踏まえたものでなければ、その批判の内容がいつかは自身の生き方を鋭く糾弾するかもしれない。例え、「反ウォール街デモ」参加者たちが「われわれは99%」と弁明したとして、民主主義の多数決原理が常に正しいとは限らない。このことは世界の歴史がこれまで実証してきたことだ。
法王は続ける。「金融界は人間を支配し、物的所有と虚像の世界が覆い、人間を奴隷化している。金融は人間の真の幸福を促進させる手段ではなくなった。金銭、物質が神のように崇拝され、世界を支配している」
もう一つの悪の力、メディアに対しては「本来善であるべきメディアが悪用されている。われわれは世界の現状を認識する上で情報が必要だが、メディアは現実を歪曲し、人が真理に従うことを許さない。メディアが構築した虚像の世界に適応せざるを得なくなる。しかし、われわれは、虚像の世界に生き、そこで称賛されることを求めず、真の自由を与える真理を追究すべきだ」と語りかける。
ドイツ出身の学者法王ベネディクト16世の話はいつもの事ながら簡明だ。それでいて、聞く者を考えさせる力を持っている。法王が自身の信念を誰に憚ることなく大胆に主張しているからだろう。
法王から「悪の手先」と名指しで批判された「金融界」と「メディア」も本来は人間に幸福をもたらす「良きもの」だったはずだ。「金融界」や「メディア」そのものに善も悪もない。それらを「善」とするか、「悪」とするかは結局は「われわれ」次第だ。誰が問題ではなく、「われわれ」の生き方が問題だ。ベネディクト16世の話の中心ポイントもそこにあるのだろう。
付け加えていえば、米ニューヨークの金融街で始まった「反ウォール街デモ」参加者たちの主張も自身の内省を踏まえたものでなければ、その批判の内容がいつかは自身の生き方を鋭く糾弾するかもしれない。例え、「反ウォール街デモ」参加者たちが「われわれは99%」と弁明したとして、民主主義の多数決原理が常に正しいとは限らない。このことは世界の歴史がこれまで実証してきたことだ。