イスラム教のアラーは核兵器のような大量破壊兵器の製造、保有を「非人道的」として厳禁している。欧米諸国から核兵器製造の容疑を掛けられているイラン側の弁明だ。“ホメイ二師の遺訓”ともいわれる(イランはイスラム教シーア派の国家だ)。
 しかし、イランの核計画の現状をみると、「テヘランは核兵器製造を画策している」という疑いが日増しに濃厚となってくる。
 アラーやホメイニ師が厳禁した核兵器をテヘランが製造できるか考える必要があるだろう。なぜならば、“金日成主席の遺訓”として朝鮮半島の非核化を国是として主張してきた北朝鮮が核兵器を製造し、2度の核実験をこれまで実施したからだ。しかし、北側は金日成主席の遺訓を放棄したとは表明していないのだ。
 「政治家の遺訓」より「宗教指導者の遺訓」のほうが本来、権威があるはずだ。その宗教指導者の遺訓を破ってイランが核兵器を製造した場合、論理的に言えば、イランはイスラム教の信仰を蹂躙したことになる。少なくとも、ホメイニ師の教えを捨てたといわざるを得なくなる。
 しかし、ここで北朝鮮の場合を想起すべきだ。遺訓を放棄することなく、核兵器を製造したのだ。イランの場合、ホメイニ師の遺訓を信じているが、核兵器を製造せざるを得なかった、という論理の確立が課題となるわけだ。
 イランの課題を援助してくれる国がある。同じイスラム教国でありながら、核兵器を製造した国だ。すなわち、パキスタンだ。
 イラン指導者たちは核兵器を製造した後、国際社会に向けて「イランもパキスタンの道を行かざるを得なかった」と弁明できるのだ。
 パキスタンの場合、宿敵インドが核兵器を先駆けて製造したため、敵国から自国を防備するために「やむなく同様に核兵器を製造せざるを得なくなった」という説明だ。それによって、核兵器製造を厳禁するイスラム教の教えとの矛盾を少しは緩和できたわけだ(同国のイスラム教はスン二派が主流)。
 イランは「宿敵イスラエルが核兵器を保持している(西側情報機関によれば、イスラエルは200基の核兵器を保有している)。自国をイスラエルの核の脅威から守る為に核兵器が必要となった」という理屈だ。これで核兵器とイスラム教の教えの矛盾を最小限度に抑えるわけだ。
 総括すれば、イランはイスラム教の教えを守る一方、核兵器を製造できる道として、「パキスタンをモデル」としている可能性が考えられるのだ。