北朝鮮の故金日成主席、その息子の故金正日労働党総書記の時代、金主席と金総書記の肖像画は政府公舎だけではなく、全国民の住居にも掲げられてきた。同時に、金主席や金総書記のバッジは外交官の背広やワイシャツに付けられていた。金主席のバッジを不注意で落したりしたら厳しく処罰された。
 当方は数年前、金主席のバッジを落してショックを受けた音楽学生を駐ウィーンの北大使館で目撃したことがある。学生にとっては「大失態」だ。友人が上司に通達でもすれば、その学生は即帰国命令を受け、故郷で再教育キャンプが待っているかもしれないからだ。
 金主席、金総書記、そして世襲制は第3代目に継承され、金正恩氏の時代が始まった。過去の例に従うならば、金正恩氏の肖像画が党会議場ばかりか、国民の自宅にも飾られることは時間の問題だろう。その上、正恩氏のバッジが北朝鮮国民の胸で輝く日もそう遠くはないかもしれない。
 当方はそのように考え、金正恩氏の肖像画を見れば即撮影できるようにポケットにデジタルカメラを潜める日々だ。北朝鮮外交官に会う度に彼らの背広やワイシャツにバッジはないかと目をやる。
 しかし、知人の北外交官は「金正恩氏のバッジは今後、出てこないかもしれないね。正恩氏は国民が自分の肖像画のバッジを背広につけることなど願わないかもしれないからだ。若者はバッジなど重視しないからね。肖像画やバッジの時代は金総書記時代までかもしれない」という。
 正直いって、少々驚いた。北国民にとっては金主席、金総書記の肖像画、バッジは聖画だ。その伝統が正恩氏の時代にも当然継承されると考えてきたが、ひょっとしたら正恩氏の肖像画、バッジは作られないかもしれない。

 知人の話を聞いてみて一つ思い出した。北の新しいカレンダーにも正恩氏の誕生日の1月8日に何も特別な徴がなかったという。すなわち、正恩氏はバッジだけではなく、自身の誕生日を国家祝日とする慣例も廃止するかもしれないのだ。
 正恩氏は今年の誕生日、「祝わず、休みなさい」と国民に伝えたという情報がある。
 是非は別として、若き正恩氏は当然、父親・金総書記とは感性が違うだろう。われわれは正恩氏の感性を見誤ってはならない。
 正恩氏の感性を無視して、張成沢国防委員会副委員長ら幹部たちが政治的思惑を強いた場合、両者間に衝突が生じるかもしれない。正恩氏のヘア・スタイル(故金主席に真似た髪型)をみていると、そんな心配もある。30歳にもならない青年が古い祖父の髪型や仕草を真似たいと考えるだろうか。
 朝鮮中央通信社は25日、正恩氏を「オボイ(父母)」という呼称を付けて報じ、正恩氏の偶像化を加速させている。 北朝鮮では最高指導者に対する偶像化は当然かもしれないが、正恩氏の感性がそれらの虚飾の偶像化にどれだけ耐えられるだろうか、と心配になってくる。正恩氏が祖父の故金主席や父親・金総書記と決定的に違う点は、流血の権力闘争を経験していないということだ。

 父親から権力基盤を継承したが、正恩氏の感性が反映したと思える言動は、自身の誕生日の際の発言を除いてはほとんど見当たらない。「正恩氏時代」はまだ始まっていない、といえるかもしれない。