「大統領ポストは必要だろうか」
ニーダーザクセン州首相時代(2008年)、知人の実業家夫妻から低利の住宅ローン(50万ユーロ)を借りて住居購入した問題でメディアからバッシングを受けているクリスチャン・ウルフ独大統領への嫌味ではない。
隣国オーストリアの二ーダーエスタライヒ州のエルヴィン・プレル州知事(Erwin Pr?ll)の発言だ。
州知事はメディア関係者との会見の中で「わが国に大統領が必要かと自問せざるを得ない。スイスのように閣僚間で順番に大統領職を担うほうが得策だ。国民の直接選挙で大統領を選出する必要はない」と述べたのだ。もちろん、それだけではない。「国会議員の定数も現行の183議席から165議席に縮小し、地方議会も同様、縮小すべきだ」という。
ここでは、州知事の「大統領廃止論」に的を絞りたい。同国では大統領職の廃止論は機会ある毎にメディアを賑わせてきたテーマだ。その意味で、州知事の廃止論は決して珍しくはないが、同州知事が与党・国民党の重鎮であり、その発言は中央政界にも影響を及ぼすのだ。
アルプスの小国オーストリアの大統領職は一種の名誉職で政治的権限は限定されている。連邦政府の任命と罷免の他、外国貴賓を迎えたり、相手国を訪問し、友好関係を構築することがその主要な職務だ。
その一方、オーストリア大統領の給料はオバマ米大統領のそれよりも高給だ。「小国の大統領が世界大国の米大統領より高給取りということは考えられない」といった声が出てきても不思議ではない。
プレル州知事の「大統領廃止論」は財政赤字対策から考え出された行政改革案の一つだろう。大統領が実際廃止され、大統領府が閉鎖されれば、それによって浮く経費は少なくない。必要ならば出費も止む得ないが、絶対に必要な職ではないのだ。だから「節約すべきだ」という論理だ。
オーストリアは第一次大戦までは帝政だったが、敗戦後(1918年)、帝政が崩壊し、現在の共和国となった。その代わりに大統領職(任期6年)が創設された。国民の間には王制へのノスタルジーが皆無ではないが、大多数は現在の共和国制に満足している。
ところで、オーストリアではルドルフ・キルヒシュレーガー大統領(1974-86年)まで、大統領は国民の尊敬を受ける対象だったが、クルト・ワルトハイム大統領(86年ー92年)、トーマス・クレスティル大統領(92年ー2004年)頃から大統領への批判が国民の間でも聞かれだした。特に、妻を裏切り、愛人と再婚したクレスティル大統領はその任期中、家庭問題については一切、語らなかった。そして最後まで、国民の信頼を受けることができなかった。現在のフィッシャー大統領(2004年ー)は社会民主党の左派代表で、国会議長時代から親北朝鮮政治家として有名だった。大統領に選出後も出身政党の社民党寄りの言動が目立つなど、国民の代表としての大統領には程遠い政治家だ。
欧州経済の危機、それに伴い節約と経費削減が急務の時、国民の信頼を勝ち得ない大統領の「廃止論」が飛び出してきたわけだ。当然かもしれない。
ニーダーザクセン州首相時代(2008年)、知人の実業家夫妻から低利の住宅ローン(50万ユーロ)を借りて住居購入した問題でメディアからバッシングを受けているクリスチャン・ウルフ独大統領への嫌味ではない。
隣国オーストリアの二ーダーエスタライヒ州のエルヴィン・プレル州知事(Erwin Pr?ll)の発言だ。
州知事はメディア関係者との会見の中で「わが国に大統領が必要かと自問せざるを得ない。スイスのように閣僚間で順番に大統領職を担うほうが得策だ。国民の直接選挙で大統領を選出する必要はない」と述べたのだ。もちろん、それだけではない。「国会議員の定数も現行の183議席から165議席に縮小し、地方議会も同様、縮小すべきだ」という。
ここでは、州知事の「大統領廃止論」に的を絞りたい。同国では大統領職の廃止論は機会ある毎にメディアを賑わせてきたテーマだ。その意味で、州知事の廃止論は決して珍しくはないが、同州知事が与党・国民党の重鎮であり、その発言は中央政界にも影響を及ぼすのだ。
アルプスの小国オーストリアの大統領職は一種の名誉職で政治的権限は限定されている。連邦政府の任命と罷免の他、外国貴賓を迎えたり、相手国を訪問し、友好関係を構築することがその主要な職務だ。
その一方、オーストリア大統領の給料はオバマ米大統領のそれよりも高給だ。「小国の大統領が世界大国の米大統領より高給取りということは考えられない」といった声が出てきても不思議ではない。
プレル州知事の「大統領廃止論」は財政赤字対策から考え出された行政改革案の一つだろう。大統領が実際廃止され、大統領府が閉鎖されれば、それによって浮く経費は少なくない。必要ならば出費も止む得ないが、絶対に必要な職ではないのだ。だから「節約すべきだ」という論理だ。
オーストリアは第一次大戦までは帝政だったが、敗戦後(1918年)、帝政が崩壊し、現在の共和国となった。その代わりに大統領職(任期6年)が創設された。国民の間には王制へのノスタルジーが皆無ではないが、大多数は現在の共和国制に満足している。
ところで、オーストリアではルドルフ・キルヒシュレーガー大統領(1974-86年)まで、大統領は国民の尊敬を受ける対象だったが、クルト・ワルトハイム大統領(86年ー92年)、トーマス・クレスティル大統領(92年ー2004年)頃から大統領への批判が国民の間でも聞かれだした。特に、妻を裏切り、愛人と再婚したクレスティル大統領はその任期中、家庭問題については一切、語らなかった。そして最後まで、国民の信頼を受けることができなかった。現在のフィッシャー大統領(2004年ー)は社会民主党の左派代表で、国会議長時代から親北朝鮮政治家として有名だった。大統領に選出後も出身政党の社民党寄りの言動が目立つなど、国民の代表としての大統領には程遠い政治家だ。
欧州経済の危機、それに伴い節約と経費削減が急務の時、国民の信頼を勝ち得ない大統領の「廃止論」が飛び出してきたわけだ。当然かもしれない。