オーストリアは26日、ナショナルデーだ。ホスト国に敬意を表するという意味からウィーンの国連も祝日だ。当方は同日、小雨だったこともあって外出を控え、自宅で仕事をした。
 ナショナルデーに関しては、当コラム欄で数回紹介済みなので、オーストリアに関連した別テーマを探して書くことにした(「オーストリアのナショナルデー」2010年10月26日参考)。
 
 オーストリアは冷戦時代、東西両欧州の架け橋的な役割を果たしてきたが、同時に、南北に分断された朝鮮半島の“38線”のような立場を演じてきた。北朝鮮は首都ウィーンに欧州工作の拠点を次々と構築していった。例えば、北の欧州唯一の直営銀行「金星銀行」が1982年にウィーンに開業し、中東向けミサイル輸出、偽造紙幣工作などが進められていった。
 一方、韓国は北の欧州工作に対抗するため優秀な情報員をウィーンに派遣した、といった具合だ。音楽の都ウィーンを舞台に南北両国のさまざまな戦いが展開していったわけだ。
 そして、冷戦時代が終わり、イタリアが北と外交関係を樹立した後、北は欧州拠点をウィーンからローマ、ベルリンなどに次第に分散させていった。

 以下は、ウィーンで北外交官の動きがまだ活発であった時代から今日まで、20年余り付き合ってきたオーストリア内務省の知人との話だ。
 
 オーストリア内務省に勤務している知人と半年ぶりに会った。電話で会う時間を聞くと、「9時でどうだ」という。知人は本来、朝型人間ではなく、朝早い約束には嫌な顔をしたものだ。「9時でいいんですか」と確認を取ると、「前日は夜勤だから、仕事が終わり次第、来るよ。いつもの場所でどうだ」という。
 知人とは20年余りの付き合いとなる。彼はその間、職場で昇進したとは聞いていない。「昇進もなければ、左遷もない。安定しているといえるが、『停滞している』といったほうが当たっているかもしれない、と、この頃考え出している」という。
 知人と知合う切っ掛けは北朝鮮問題だった。彼は内務省で北朝鮮問題を担当し、フォローしていたこともあって、食事をしながら北について情報を交換するようになった。
 それがここ数年、昼食前の午前10時、喫茶店で話す事が多くなった。知人が忙しくなったこともあるが、当方もウィーンの北問題で余り話すテーマがなくなってきたことがある。会っても北問題の情報交換というより、双方の近況報告の場となってきたのだ。
 イタリアが2000年1月、当時の先進7カ国(G7)の中で先駆けて北朝鮮と国交を樹立して以来、英国、ドイツなど主要な欧州諸国が北と次々と外交関係を樹立していった。それ以来、北の欧州拠点は冷戦時代の中立国ウィーンから英国、イタリアに移動していった。最近では、フランスが平壌との間で連絡事務所を開く事で合意したばかりだ。
 知人がカバーするエリアも何時の間にか北からイランに移動した。だから、会っても自然とイラン問題を話すことが多くなった。
 「われわれのテーマも変わってきたね」と知人は当方の顔を見ながらいう。知人も当方も白髪が増えてきた。
 「わが国では北朝鮮への関心は減少してきたね」と説明する。当方は「当然ですね。(欧州唯一の北の直営銀行だった)『金星銀行』も閉鎖(04年6月末)したし、北外交官の活動もこれといったことがないですからね」と相槌を打つ。
 知人と当方は、何時の間に長い時間が経過していったことを、その時、感じた。
 20年前の緊迫した会話はもはや戻ることはないだろう、ということだけは知人にも当方にも明らかだった。コーヒーを飲み終えると、「また、会おう」といって知人は席を立った。