産経新聞の電子版が25日、「バチカン法王庁のサン・ピエトロ広場で23日に行われた列聖式の最中、男が広場の柱廊に上がり、手に持った聖書を燃やして『法王、神はどこにいるんだ』と英語で叫んだが、神父たちの説得に応じ、柱廊から降りた」というAP通信発の短信を紹介していた。
当方はその記事を見落としていたので、バチカン放送独語電子版で関連記事を探した。「列聖式でのハプニング」(23日)というタイトルで記事があった。
短いが写真付きだ。「ルーマニア出身の男性で多分、精神的混乱者だ」という。男性は過去にも同様のアクションをしたということから、バチカン側もその男性を知っていたと推測できる。だから、バチカン関係者が彼を説得して広場の柱廊から降ろすことができたわけだ。
ところで、AP通信が書いていたような「法王、神はどこにいるのか」という男性の発言はバチカン放送の記事の中にはまったく紹介されていない。記事を読む限り、突然、柱廊に登って聖書の頁を燃やした、というだけで、男性の犯行動機や発言は説明されていないのだ。
そこでオーストリアのカトリック通信(カトプレス)のHPで23日のハプニング関連記事を探したら、直ぐ見つかったが、内容はバチカン放送記事の転載だけで、独自の内容はなかった。
これでは、ルーマニアの男性が「神はどこにいるのか」と叫んだのか、それとも聖書を燃やしただけで柱廊から降りたのか、判断できない。
AP通信記者が男性のハプニングを劇的に表現するために、わざわざ付け加えたとは考えにくい。なぜならば、聖書を燃やす前に「なぜ燃やすか」を説明しなければ、見ている信者たちは理解できない。だから、男性は必ず何らかの発言、メッセージをしたと考える方が論理的だからだ。
それでは、バチカン側に「神はどこにいるのか」という男性の発言を削除する必要性があったのか、という問いが出てくる。
24時間、365日、神について考え、説教しているバチカン関係者、聖職者たちだ。「神はどこにいるのか」という質問は決して新しくない。多くの聖職者は一度ぐらいは懐疑的な信者からそのような質問を受けたことがあるはずだ。
このように考えていくと、バチカンが「神はどこにいるのか」という男性の発言を恐れ、削除する必要性はなかったと考えていいはずだ。
ちなみに、バチカン放送記者の最大関心事は「精神的混乱者がどうして警備員の監視を潜り抜けて広場の柱廊にたどり着いたか」という疑問に集中している。男性の発言などまったく眼中にないのだ。
以下は当方の解釈だ。「ルーマニア出身の少し頭のおかしい男性はこれまでも度々バチカンの広場でハプニングを行ってきた。常習犯だ。バチカン放送記者がその男性の発言を重要視しなかったのはある意味で当然だった」というものだ。
男性の発言云々は別として、「神はどこにいるのか」という男性の発言を紹介したAP通信記事のお陰で、“最も現代的な問い掛け”(神の存在云々)を改めて考える機会となったとすれば、それで良し、とすべきかもしれない。
当方はその記事を見落としていたので、バチカン放送独語電子版で関連記事を探した。「列聖式でのハプニング」(23日)というタイトルで記事があった。
短いが写真付きだ。「ルーマニア出身の男性で多分、精神的混乱者だ」という。男性は過去にも同様のアクションをしたということから、バチカン側もその男性を知っていたと推測できる。だから、バチカン関係者が彼を説得して広場の柱廊から降ろすことができたわけだ。
ところで、AP通信が書いていたような「法王、神はどこにいるのか」という男性の発言はバチカン放送の記事の中にはまったく紹介されていない。記事を読む限り、突然、柱廊に登って聖書の頁を燃やした、というだけで、男性の犯行動機や発言は説明されていないのだ。
そこでオーストリアのカトリック通信(カトプレス)のHPで23日のハプニング関連記事を探したら、直ぐ見つかったが、内容はバチカン放送記事の転載だけで、独自の内容はなかった。
これでは、ルーマニアの男性が「神はどこにいるのか」と叫んだのか、それとも聖書を燃やしただけで柱廊から降りたのか、判断できない。
AP通信記者が男性のハプニングを劇的に表現するために、わざわざ付け加えたとは考えにくい。なぜならば、聖書を燃やす前に「なぜ燃やすか」を説明しなければ、見ている信者たちは理解できない。だから、男性は必ず何らかの発言、メッセージをしたと考える方が論理的だからだ。
それでは、バチカン側に「神はどこにいるのか」という男性の発言を削除する必要性があったのか、という問いが出てくる。
24時間、365日、神について考え、説教しているバチカン関係者、聖職者たちだ。「神はどこにいるのか」という質問は決して新しくない。多くの聖職者は一度ぐらいは懐疑的な信者からそのような質問を受けたことがあるはずだ。
このように考えていくと、バチカンが「神はどこにいるのか」という男性の発言を恐れ、削除する必要性はなかったと考えていいはずだ。
ちなみに、バチカン放送記者の最大関心事は「精神的混乱者がどうして警備員の監視を潜り抜けて広場の柱廊にたどり着いたか」という疑問に集中している。男性の発言などまったく眼中にないのだ。
以下は当方の解釈だ。「ルーマニア出身の少し頭のおかしい男性はこれまでも度々バチカンの広場でハプニングを行ってきた。常習犯だ。バチカン放送記者がその男性の発言を重要視しなかったのはある意味で当然だった」というものだ。
男性の発言云々は別として、「神はどこにいるのか」という男性の発言を紹介したAP通信記事のお陰で、“最も現代的な問い掛け”(神の存在云々)を改めて考える機会となったとすれば、それで良し、とすべきかもしれない。