今回は「貧富の格差」の是正と「聖職者の独身制」の廃止問題について考えた。両者は一見、まったく別問題にみえるが、案外同じ問題を抱えているのだ。
 豊かな資産家や政治家たちが月々の賃金で辛うじて生活を維持している労働者の環境改善を真剣に考えるだろうか。
 性欲も後退した70歳以上の高齢聖職者(枢機卿)たちが「聖職者の独身制」の廃止を支持するだろうか。
 金融・財政危機の今日、資産家・政治家は労働者の怒りを少しでも和らげるために政策を考えるが、自身の財産が危機に陥るような政策は決して取らない。
 枢機卿まで上り詰めた高齢の聖職者は、若い聖職者のように「独身制の廃止」を真剣には考えず、「イエスがそうであったように」といった理屈にもならない論理を主張し、聖職者の独身制を維持する。彼らは「聖職者の独身制」がカトリック教義ではないことを知っているが、「聖職者の独身制」廃止のメリットがないからだ。
 具体的に考えてみよう。欧州の財政危機の克服のために首脳会談を頻繁に開くサルコジ仏大統領やメルケル独首相は銀行の横暴を抑え、利益の公正な配分を訴えるが、彼らの最大の関心事は次期選挙で勝利することだ。一方、どう転んだとしても路上に迷うような心配はない。その彼らが、明日、路上にさまようかもしれない不安を持つ大多数の労働者の立場を理解し、政策を立案するだろうか。
 高齢聖職者が若い聖職者たちの「独身制廃止」要望に理解を示すことは希だろう。高齢聖職者は若い時代の苦しかったことを忘れ、若き聖職者たちに同じ様な体験を強いる。
 資産家や政治家が全財産を犠牲にしても労働者の福祉向上に献身するならば、その人は英雄視されるだろう。高齢聖職者が「聖職者の独身制は若い聖職者に不必要な負担をかける」として、その廃止を主張するならば、その人は本当に兄弟愛の持ち主だ。
 しかし、現実は、そのような資産家も聖職者も多くはいないから、「聖職者の独身制」の廃止は決まらないし、「社会の貧富の格差」も是正されない。
 ギリシャでは今日、多くの労働者が政府の緊縮政策に抗議して路上デモを繰り返している。彼らは「政治家たちは豊かな生活を享受しながら、国民には緊縮を要求している」と述べ、政治家たちに不信感を露わにしている(ちなみに、2010年3月以降、2000億ユーロの資金がギリシャからスイスなどに流出しているという。政治家を含む資産家たちの資産保全だ)。
 84歳の高齢法王ベネディクト16世が率先して「聖職者の独身制は非人間的だ」と言い出さない限り、聖職者の独身制は今後も続くだろう。