イスラエルとイスラム根本主義勢力ハマスの間で18日、「捕虜交換」が行われた。両者間の「捕虜交換」は今月11日、エジプトの仲介で合意していた。
 今回釈放された囚人や兵士の家族にとって、待ちに待った再会の時だ。しかし、当方は「捕虜交換」という言葉にかなり「違和感」を感じていることを告白せざるを得ない。
 イスラエル側は2006年にハマスに拉致されたイスラエル兵ギラド・シャリート曹長の解放を要求する一方、ハマス側はイスラエルで収監中の1027人のパレスチナ人の釈放を求めてきた。1対1027人の「捕虜交換」に違和感を感じたのではない。「捕虜交換」という言葉自体に感じるのだ。
 イスラエルとパレスチナ人との間ではいまなお紛争状況が続いている。ハマス勢力は武装闘争を放棄していない。一方、イスラエル側は入植政策を継続している。9月の国連総会では、パレスチナ自治政府のアッバス議長が一方的な独立宣言と国連加盟を要求したばかりだ。イスラエルとハマスは紛争状態だから、「捕虜交換」という言葉は依然、「死語」ではないわけだ。
 当方も冷戦時代、敵国側に拘束された旧ソ連国家保安委員会(KGB)エージェントと米中央情報局(CIA)要員の「捕虜交換」が中立国ウィーンで密かに行われた事を知っている。当方は当時、「捕虜交換」という言葉に違和感はなかった。それだけ、緊迫感があったからだ。
 しかし、欧州が東西に分断されてきた冷戦時代も終わり、戦場から遠い地域に住んでいると、「捕虜交換」といってもピンとこなくなってしまった。遠い世界の出来事のように感じてしまう。
 日本に住む読者の皆さんはどうだろうか。ひょっとしたら、当方以上にピンとこないかもしれない。「捕虜」という言葉自体、日常生活ではほとんど使用されないからだ。
 現実は、「捕虜交換」という言葉が日常生活の中でも使用される地域が存在する。その代表的な地域がイスラエルとパレスチナ人問題を抱える中東だろう。
 イスラエルとハマス間の今回の「捕虜交換」は、そのことを改めて明確に教えてくれた。