ポーランドのローマ・カトリック教会司教会議は26日、ワルシャワで「イエスをポーランド王にする運動」を批判し、「そのような運動を支援する信者や聖職者は教会と関係がない」と表明。同会議書記長の司教補佐は「教会はそのような運動に対してもはや寛容であり続けることはできない。教会を分裂させる危険性がある」と警告を発している。
 例えば、クラクフ教区のスタニスラフ・ジヴィシ枢機卿は7月、「イエスを王に」運動のリーダーの神父に対し、礼拝を主礼したり、懺悔を聴くことも実施してはならないと命じるなど、制裁を下しているほどだ。
 カトリック教国ポーランドではイエスを王にする運動は決して新しくない。1990年代にイエズス会出身の聖職者が結社「薔薇」を創設し、イエスをポーランド王に戴冠する運動を始めている。昨年はワルシャワで1000人以上の信者たちが「イエスを王に」とデモ行進している。
 一方、ローマ・カトリック教会の立場は明確だ。ローマ法王ピウス11世(治世1922−39年)は1925年、「イエスは普遍的な王だ」と宣言し、イエスがこの世の王ではなく、「神の国の王」であると指摘、一部の民族主義派グループがイエスを個々の民族の王に奉ることを拒否している。
 ポーランドで「イエスを王」運動が活発な背景には、同国が1795年、プロイセン、ロシア、オーストリアの3国に国土を分割されて以来、イエスを民族の救済者と受け取って国難を凌いできた、という経緯があるからだろう。その意味で、「イエスを王に」運動はポーランド国民の一種の信仰告白だが、教会側が懸念するように、その民族の信仰を政治的に利用する動きも実際、存在する。
 ポーランドでは2006年、46人の国会議員が神の子イエスを「ポーランド王」に奉る動議を出したが、その動議を提出した議員は当時、民族主義的傾向の強い「法と正義」、農民党、「家族同盟」の所属議員たちだった。
 イエスが生きていた時、弟子たちの中にもイエスを「ユダヤ民族の王」と受け取っていた者がいた。例えば、イエスを銀貨30枚で裏切ったイスカリオテのユダはイエスをユダヤ民族の解放者と期待していたといわれている。しかし、イエスがユダヤ民族の王を目指していないことが分ると、ユダはイエスを裏切ってしまったというのだ。