オーストリア内務省は21日、今年上半期の犯罪統計を公表した。それによると、今年上半期の殺人件数は33件、殺人未遂45件が生じている。殺人・殺人未遂を合わせた件数は前年同期比で13件増を記録した。
 殺人・殺人未遂の背景をみると、「家庭内や身近な人間関係」で生じたケースが全体の49%とほぼ半数を占めている。それについて「知り合い関係」間の殺人が35%だ。両者を合わせると約84%の殺人が「家庭、身近な知り合い」の間で起きていることになる。
 ちなみに、「偶然の知り合い」間の殺人が4%。被害者と加害者の間で「関係がない」殺人は12%に過ぎない。
 家庭や身内の間で殺人・殺人未遂が多く発生するのはアルプスの小国オーストリアに限られた現象ではない。程度の差こそあれ、状況はどこでも良く似ている。
 一般的にどの国でも殺人事件の検挙率は窃盗などの他の犯罪より高い(オーストリアの場合、今年上半期の殺人・殺人未遂事件の検挙率は91%)。殺人事件が起きると、警察当局は先ず、被害者の家族、身近な知り合い関係者の捜査を始める。殺人事件は「身近な人間関係の破綻」に起因した犯罪だからだ。
 ところで、文豪ゲーテの作品に「親和力」という小説がある。若い男女が惹き合う人間関係の力を描いた小説だ。デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールは「人間は関係存在だ」と喝破している。殺人事件という最も巨悪な犯罪はそのことを裏付けている。関係がない処で「愛」は生じないが、殺人事件も起きないわけだ。
 そして「人間関係」が難しいのは決して喧騒な現代社会に限ったことではない。人類最初の殺人事件はアベルとカインの間で起きている(兄の弟殺人)。すなわち、人類歴史の最初の家庭、アダム家庭からその「人間関係」はスムーズではなかったわけだ。
 極端な表現をすれば、人間は生来、他の人間との関係が上手くいかない運命を背負っているといえる。キリスト教神学ではその運命を「罪」とみて、「罪は神との関係破綻の結果」と受け取っている。「人間関係」の破綻の前に、「神との関係」の破綻があったというわけだ。
 参考までに紹介すると、聖書の世界で「人間関係」を勝利した人物はイサクの息子ヤコブだ。兄エサウに憎まれていたヤコブは21年後、エサウを愛することでその恨みを解いていくシーンが創世記に記述されている。神は後日、ヤコブに対して勝利した者として「イスラエルと名のるように」と命令する。ヤコブが憎悪の「人間関係」を初めて克服したからだ。