別のテーマに取り組んでいたので遅くなったが、音楽の都ウィーンの皆既月食について報告したい。
 当方は15日午後8時半から自宅の8階のベランダで待機していた。しかし、労働者の町オッタクリングではまだ街の灯が明るすぎて、月が見えない。天体観測の場合、忍耐が必要だと聞いてたので、街の灯が消え、月がその姿を見せるまで待ち続けた。
 9時半頃になると雲の間から赤銅色を帯びた月が見えた。月と地球と太陽が一直線上に並んだ瞬間だ。地球の影となった月は真黒になるのではなく、地球大気の屈折した光を受けて赤銅色となり、浮かび上がる。ウィーンに長く住んでいたが、皆既月食を目撃したのは初めてだ。
 当方は是非とも今回は皆既月食を観たいと決意していた。どうしてか。今回の皆既月食がウィーン市でも観測できるチャンスと聞いていたこと、メディアが掲載していた赤銅色の月が非常に神秘的に感じたからだ。
 皆既月食の瞬間を待っていた時、昔の人間は皆既月食をどのように受け止めていただろうか、と漠然と考えた。皆既月食だけではない。雷、津波、地震でも同じだろう。昔の人間にとって、さまざまな自然現象は恐怖と畏敬と不安を与えただろう。いつも見てきた月が突然、赤銅色で出現したら、何か不気味な思いに襲われるだろう。繊細な人間ならば、未来を予言したかもしれない。
 一方、現代人は皆既月食について知っている。神が怒っているのでも、月が地上の美しい女たちを見て赤面しているのでもないことを知っている。
 しかし、天上の星群をみていると、言い知れない驚きと感動を感じ、あの一等星と地球の間の距離がどれだけかを考えるだけで、もう軽い眩暈すら覚えてしまうものだ。
 ピアノソナタ「月光」の作曲者ベートーヴェンはウィーンのハイリゲンシュタットで作曲の疲れを癒すため天上の星と月を眺めただろう。
 自然現象を科学的に完全に説明できたとしても、当方などは心のどこかでは完全には納得していない面がある。「赤銅色の月」は地球の影と太陽が織り成す天体現象ではなく、ひょっとしたら、月の居住者がクレーターから一斉に顔を出し、火を炊き、踊りだした瞬間かもしれないのだ。
 赤銅色の月を観た後、床についた。深夜の2時半頃、トイレのために目が醒めた。カーテン越しに月を探したら、大きな満月がいつものように黄色の光を放っていた。