チェコのローマ・カトリック教会最高指導者、プラハ司教区のドミニク・ドュカ(Dominik Duka)大司教は19日、プラハのフス派教会を訪ねた。テーマは宗教改革者ヤン・フス死後600年を迎える2015年、カトリック教会とフス派教会が共同で慰霊祭を開催することだ。
 ヤン・フス(1370−1415年)はボヘミア出身の宗教改革者だ。免罪符などに反対したフスはコンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された。同事件はチェコ民族に今日まで深く刻印されてきた。歴史家たちは「同国のアンチ・カトリック主義は改革者フスの異端裁判の影響だ」と説明しているほどだ(「ヤン・フスの名誉回復を要求」2009年9月29日参照)。
 今月1日に列福を受けた故ヨハネ・パウロ2世は西暦2000年の新ミレニウムを「新しい衣で迎えたい」という決意から、教会の過去の問題を次々と謝罪した。ユグノー派に対して犯したカトリック教会の罪(1572年)、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイの異端裁判(1632年)と共に、異端として火刑に処せられたフスの名誉回復をも実施した。
 ところで、現ローマ法王べネディクト16世は09年26日、チェコを3日間訪問したが、国民からはポーランドのようなホットな歓迎は最後まで見られなかった。前法王の謝罪表明と「名誉回復」では十分ではなかったのだ。具体的には、チェコ民族のカトリック教会に対する根深い不信感だ。
 クラウス大統領を初めとしてチェコ知識人たちにみられる「野党精神」はフスの異端裁判の結果、生まれてきた国民性だと指摘する社会学者の意見を聞いたことがある。同大統領が欧州連合(EU)のリスボン条約に強く反発し、その批准書の署名を拒否し続けたことがあったが、クラウス大統領にはブリュッセルを中心としたEU機構に強い不信感があった。換言すれば、権威者に対する払拭できない不信感だ。
 東欧の民主改革から20年以上が経過したが、チェコは旧東欧諸国で旧東独地域と共に最も世俗的な国家だ。国民の約60%が無宗教と答えている。カトリック教徒は約27%に過ぎない。民主改革直後、カトリック教徒の割合はまだ39%だったから、多くの国民が毎年、教会から去っていったことになる。
 欧州の統合プロセスが進行する今日、「フス事件の克服」は単にカトリック教会の問題ではなく、チェコ民族の課題でもあるわけだ。フス死後600年目を迎える2015年は同国にとって歴史的な内省の年となるだろう。