オバマ米大統領は1日夜、緊急記者会見を行い、そこでパキスタンの首都郊外に潜伏していた国際テロ組織アルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンの殺害を発表した。
オサマ・ビンラディンは2001年9月11日、米国内同時多発テロ事件の首謀者だ。3000人を超える米国人がその犠牲となった。ビンラディンの殺害が公表されると、ワシントンのホワイトハウス前やニュヨークのグランドゼロで国民が集まり、歓声を上げたという。
テロ事件の犠牲となった国民やその家族にとって、そのテロ首謀者の殺害は朗報だろう。ブッシュ前米大統領は「正義の勝利」と表明していた。
全てその通りなのだが、何かしっくりとしないものを感じる。「米大統領が深夜、記者会見を行ってテロ首謀者の殺害を公表した」ということ事態、通常の事ではない。事故にあった国民を救済したとか、拉致された国民が解放されたとかではない。米国という国家がテロリストを殺害した、というニュースだ。
2日の朝、CNN放送を聞いていて「殺害」というニュースがブレーキング・ニュースとして流れるのを聞きながら、「少なくとも正常なことではない」という思いが一層強まった。
バチカン放送(独語電子版)によると、バチカン法王庁のロムバルディ報道官は2日、「ビンラディン殺害が新たな殺害を誘発しないことを期待する」と述べ、イスラム過激テロ勢力の報復テロを危惧した。その上で「ビンラディンは民族間の憎悪や分裂に大きな責任を負う。多くの人々が犠牲となったからだ。しかし、キリスト者として人間の死を喜ぶことはできない」と述べている。
当方が「何かしっくりとしない」といったのは、ロムバルディ報道官の「人の死を喜べない」という感情から起因するかもしれない。
ロイターは2日、米国がアルカイダの指導者ビンラディンを殺害したことについて、8割近くの人が「正しい判断」と受け取っている、という調査結果を報じた。「正しくない」と答えた人は14%、「分からない」と答えた人は7%だったという。当方ならば「分からない」と答えたかもしれない。
「ビンラディンは何千人もの人々を殺した張本人だ。その責任は自身の死によっても償うことはできないほどの罪悪だ」と反発を食らうかもしれない。「あなたの態度は中途半端だ。厳しい現実の世界に生ぬるい宗教感情を持ち出すことは良くない」と諭されるかもしれない。
殺し、殺されることが日常茶飯事となっている世界では、「目には目、歯には歯を」といった報復メカニズムが不可欠だ、という主張は非常に論理的で説得力がある。
しかし、テロリストを殺害することで平和は実現しない。報復テロが起きるだろう。武器では平和は実現できない。民族・宗派間の対立は和解できない。
ビンラディン殺害のニュースを報じていたオーストリア国営放送のワシントン特派員は、「米国の世界観からみれば、善の勝利となります」と語っていたのがとても印象的だった。
「欧米大国に久しく植民地化されてきたアフリカ・中東アラブ諸国の世界観からみれば」、ビンラディン殺害はどのように受け取られるだろうか。
周囲に多くのイスラム系知人や友人がいることもあってか、当方は「ビンラディン殺害を国際社会の対テロ戦争の勝利」と喜んでばかりいられない。「テロの温床」となる歴史的、社会的背景について、慎重な検証が行われるべきだろう。
オサマ・ビンラディンは2001年9月11日、米国内同時多発テロ事件の首謀者だ。3000人を超える米国人がその犠牲となった。ビンラディンの殺害が公表されると、ワシントンのホワイトハウス前やニュヨークのグランドゼロで国民が集まり、歓声を上げたという。
テロ事件の犠牲となった国民やその家族にとって、そのテロ首謀者の殺害は朗報だろう。ブッシュ前米大統領は「正義の勝利」と表明していた。
全てその通りなのだが、何かしっくりとしないものを感じる。「米大統領が深夜、記者会見を行ってテロ首謀者の殺害を公表した」ということ事態、通常の事ではない。事故にあった国民を救済したとか、拉致された国民が解放されたとかではない。米国という国家がテロリストを殺害した、というニュースだ。
2日の朝、CNN放送を聞いていて「殺害」というニュースがブレーキング・ニュースとして流れるのを聞きながら、「少なくとも正常なことではない」という思いが一層強まった。
バチカン放送(独語電子版)によると、バチカン法王庁のロムバルディ報道官は2日、「ビンラディン殺害が新たな殺害を誘発しないことを期待する」と述べ、イスラム過激テロ勢力の報復テロを危惧した。その上で「ビンラディンは民族間の憎悪や分裂に大きな責任を負う。多くの人々が犠牲となったからだ。しかし、キリスト者として人間の死を喜ぶことはできない」と述べている。
当方が「何かしっくりとしない」といったのは、ロムバルディ報道官の「人の死を喜べない」という感情から起因するかもしれない。
ロイターは2日、米国がアルカイダの指導者ビンラディンを殺害したことについて、8割近くの人が「正しい判断」と受け取っている、という調査結果を報じた。「正しくない」と答えた人は14%、「分からない」と答えた人は7%だったという。当方ならば「分からない」と答えたかもしれない。
「ビンラディンは何千人もの人々を殺した張本人だ。その責任は自身の死によっても償うことはできないほどの罪悪だ」と反発を食らうかもしれない。「あなたの態度は中途半端だ。厳しい現実の世界に生ぬるい宗教感情を持ち出すことは良くない」と諭されるかもしれない。
殺し、殺されることが日常茶飯事となっている世界では、「目には目、歯には歯を」といった報復メカニズムが不可欠だ、という主張は非常に論理的で説得力がある。
しかし、テロリストを殺害することで平和は実現しない。報復テロが起きるだろう。武器では平和は実現できない。民族・宗派間の対立は和解できない。
ビンラディン殺害のニュースを報じていたオーストリア国営放送のワシントン特派員は、「米国の世界観からみれば、善の勝利となります」と語っていたのがとても印象的だった。
「欧米大国に久しく植民地化されてきたアフリカ・中東アラブ諸国の世界観からみれば」、ビンラディン殺害はどのように受け取られるだろうか。
周囲に多くのイスラム系知人や友人がいることもあってか、当方は「ビンラディン殺害を国際社会の対テロ戦争の勝利」と喜んでばかりいられない。「テロの温床」となる歴史的、社会的背景について、慎重な検証が行われるべきだろう。