久しぶりに会った知人はいつものようにコーヒーとミネラルウオーターを注文した。新しい背広を着て知人は元気そうにみえた。
 「半年ぶりですね。お仕事は忙しいですか」
 「いつも何かが起きるからね。君も元気そうじゃないか」
 そして20分ぐらい話していると知人の携帯電話が鳴った。深刻な話のようだ。知人は数分間話すと電話を切った。
 「事件でもあったのですか」
 「事件ではない。職場のいざこざだよ。具体的には人事問題だよ」と、好奇心一杯の当方の顔を見ながら短く答えた。
 それとはなく聞き出したところによると、どうやら職場で人事の件で対立が生じているらしい。
 「どこの職場でも同じですよ。上司の受けがいい社員とそうではない社員との対立から、社員の意向を無視した人事異動まで、いがみ合いは尽きないものです」
 「そうだね。事件のほうが楽だよ。職場のいがみ合いは疲れる」
 知人は吐き出すように語った。
 知人がどの職場に勤めているのか、と知りたくなった読者もいるだろう。彼はオーストリア内務省所属の中堅の情報担当員だ。
 同国のファイマン連立政権に参画する国民党のプレル党首が突然政界引退したことを受け、シュビンデルエッガー外相が国民党首に就任(正式には来月開催予定の党大会で選出)した。同時に、政権内で今月、一部閣僚移動があった。これまで内相だったフェクター女史が財務相に抜擢され、後任内相にニーダーエスタライヒ州議会出身のミクル・ライトナー女史が就任したばかりだ。
 トップが替われば、その以下の局長クラス、課長クラスなどが入れ替わることがある。例えば、新内相がニーダーエスタライヒ州出身者となれば、同州出身者が省内で優遇されたり、逆に他州出身者とのバランスから、人事が調整されることもある。多分、知人は省内の人事異動で面白くないことがあったのだろう。
 「事務所に急遽、戻らなければなりませんね」と、知人の立場を考慮して、半年ぶりの会合だったが、早めに終わらそうとすると、
 「いいんだよ。急がなくても」というが、頭の中は職場の同僚から今入った情報について考えているようだ。
 10分ぐらい話した後、近日中にまた再開することを約束して分れた。

 西側の情報機関担当官も普通の人間だ。職場の人間関係や上司との関係で対立したり、不満の一つも飛び出す。そして多くのエネルギーを職場内の調整に費やされ、肝心の外での仕事に集中できない、といった状況が生じる。
 内務省の別の知人は昔、子供の教育問題で悩んでいた。「子供の躾が難しい」といった時の敏腕情報員の顔は子供の行く末に頭を痛める一人の父親の顔だったことを思い出す。
 英情報機関の「007」のように、職場や家庭の束縛はまったくなく、その使命を履行するために全力を投じる、といった西側情報機関員は実際は少ない。情報員も人の子だ。悩みがあり、職場や家庭でいがみ合いを抱えたりしているものだ。