当方はオーストリア政府の反原発政策を揶揄したり、批判する気は毛頭ないことを先ず確認しておきたい。チェルノブイリ原発事故の影響を受け、その恐ろしさを体験した国だ。それだけではない。国境線に囲まれた旧東欧諸国には依然、旧式原子炉が操業している。チェルノブイリ原発のような大事故がいつ起きても不思議ではない。これがオーストリア政府と国民の偽りのない懸念だろう。だから、欧州諸国の中でも反原発の声が一段と高いのも止む得ないとことだろう。
問題は、同国の反原発政策がチェルノブイリ原発事故(1986年)が契機となって生まれてきたわけではないという点だ。
ここでツヴェンテンドルフ原子炉の操業開始を問う国民投票(「30年前の後遺症」(2008年11月7日参照)について再度、紹介しなければならない。オーストリアの二ーダーエスタライヒ州のドナウ河沿いの村、ツヴェンテンドルフで同国初の原子炉(沸騰水型)が建設された、同原子炉の操業開始段階になると、国民の間から反対の声が出てきたため、当時のクライスキー政権は1978年11月5日、国民投票を実施することを決定した。同政権は国民投票を実施しても原子炉の操業支持派が勝つと信じていたが、約3万票の差で反対派(50・47%)が勝利したのだ、その結果、総工費約3億8000万ユーロを投資して完成した原子炉は博物館入りとなったのだ。クライスキー政権にとって、国民投票の結果は文字通り、“青天の霹靂”だったといわれている。
この結果、“ツヴェンテンドルフの後遺症”と呼ばれる現象が出てきた。すなわち、原発問題をもはや冷静に議論することなく、オーストリアは反原発路線を「国是」としてこれまで突っ走てきたのだ。アルプスの小国は「反原発法」を施行し、欧州の反原発運動の主要拠点となっていった。そして福島原発の事故が明らかになると、同国のベルラコビッチ環境相は3月13日、欧州全域の原子力発電所の耐震性に関する「ストレステスト」を提案するなど、同国はここでも反原発運動の先頭を切ったばかりだ。
同国はアルプスの山々の豊かな水源を利用できるが、水力や火力ではエネルギー需要を完全にはカバーできないので、他国からエネルギーを輸入している。年々、その輸入量は拡大してきている。にもかかわらず、同国は頑固に反原発国に留まっているのだ。だから、社会学者から“ツヴェンテンドルフの後遺症”と指摘される所以だ。

アナトリー・トカチュク氏の新著「自分はチェルノブイリの石棺の中にいた。副題・生存者の報告」(Ich war im Sarkophag von Tschernobyl, Der Bericht des Ueberlebenden)
チェルノブイリ原発事故の8カ月後、コンクリート製のシェルターの中に入って検査した一人、アナトリー・トカチュク氏は19日、ウィーンで自著の発表記者会見を開いたが、そこで「自分は代替エネルギーが見つかるまでは、今後も原子力エネルギーの平和利用を促進すべきだと考えている」と述べた。すると、オーストリア人の環境保護活動家が「チェルノブイリ原発事故を体験したあなたからそのような発言を聞くとは考えてもいなかった」と驚きを表していた。
歴史的出来事から何を教訓として学ぶかは、個々の立場、その民族性や社会的背景などで当然異なってくる。オーストリア国民はツヴェンテンドルフの後遺症から「反原発」を教訓としたが、チェルノブイリ原発事故体験したトカチュク氏は「原子力の安全性の重要性」を教訓として学んでいったわけだ。
なお、オーストリアは「EURATOM」(欧州原子力共同体)の加盟国であり、ウィーン市には核エネルギーの平和利用促進を目標とする国際原子力機関(IAEA)の本部がある。一見矛盾するようだが、同国の反原発路線は当分、揺れることがないだろう。福島原発事故はオーストリア国民を一層、反原発に駆り立てているからだ。
問題は、同国の反原発政策がチェルノブイリ原発事故(1986年)が契機となって生まれてきたわけではないという点だ。
ここでツヴェンテンドルフ原子炉の操業開始を問う国民投票(「30年前の後遺症」(2008年11月7日参照)について再度、紹介しなければならない。オーストリアの二ーダーエスタライヒ州のドナウ河沿いの村、ツヴェンテンドルフで同国初の原子炉(沸騰水型)が建設された、同原子炉の操業開始段階になると、国民の間から反対の声が出てきたため、当時のクライスキー政権は1978年11月5日、国民投票を実施することを決定した。同政権は国民投票を実施しても原子炉の操業支持派が勝つと信じていたが、約3万票の差で反対派(50・47%)が勝利したのだ、その結果、総工費約3億8000万ユーロを投資して完成した原子炉は博物館入りとなったのだ。クライスキー政権にとって、国民投票の結果は文字通り、“青天の霹靂”だったといわれている。
この結果、“ツヴェンテンドルフの後遺症”と呼ばれる現象が出てきた。すなわち、原発問題をもはや冷静に議論することなく、オーストリアは反原発路線を「国是」としてこれまで突っ走てきたのだ。アルプスの小国は「反原発法」を施行し、欧州の反原発運動の主要拠点となっていった。そして福島原発の事故が明らかになると、同国のベルラコビッチ環境相は3月13日、欧州全域の原子力発電所の耐震性に関する「ストレステスト」を提案するなど、同国はここでも反原発運動の先頭を切ったばかりだ。
同国はアルプスの山々の豊かな水源を利用できるが、水力や火力ではエネルギー需要を完全にはカバーできないので、他国からエネルギーを輸入している。年々、その輸入量は拡大してきている。にもかかわらず、同国は頑固に反原発国に留まっているのだ。だから、社会学者から“ツヴェンテンドルフの後遺症”と指摘される所以だ。

アナトリー・トカチュク氏の新著「自分はチェルノブイリの石棺の中にいた。副題・生存者の報告」(Ich war im Sarkophag von Tschernobyl, Der Bericht des Ueberlebenden)
チェルノブイリ原発事故の8カ月後、コンクリート製のシェルターの中に入って検査した一人、アナトリー・トカチュク氏は19日、ウィーンで自著の発表記者会見を開いたが、そこで「自分は代替エネルギーが見つかるまでは、今後も原子力エネルギーの平和利用を促進すべきだと考えている」と述べた。すると、オーストリア人の環境保護活動家が「チェルノブイリ原発事故を体験したあなたからそのような発言を聞くとは考えてもいなかった」と驚きを表していた。
歴史的出来事から何を教訓として学ぶかは、個々の立場、その民族性や社会的背景などで当然異なってくる。オーストリア国民はツヴェンテンドルフの後遺症から「反原発」を教訓としたが、チェルノブイリ原発事故体験したトカチュク氏は「原子力の安全性の重要性」を教訓として学んでいったわけだ。
なお、オーストリアは「EURATOM」(欧州原子力共同体)の加盟国であり、ウィーン市には核エネルギーの平和利用促進を目標とする国際原子力機関(IAEA)の本部がある。一見矛盾するようだが、同国の反原発路線は当分、揺れることがないだろう。福島原発事故はオーストリア国民を一層、反原発に駆り立てているからだ。
