東日本を巨大地震とそれに伴う津波が襲ってから明日25日で2週間が経過する。福島の原発が危機に陥って以来、世界の耳目は原発の動向に集まっている。
 M9・0の大地震と津波で1万人以上の国民が犠牲となり、行方不明者を含めるとその被災者総数は2万人を超えると予想されている。この「日本史上、最大の自然災害」は多数の犠牲者と被害を残したが、同時に、日本社会の政治、文化にも消すことが出来ない痕跡を残すだろうといわれる。
 バチカン放送(独語版)は22日、東日本の巨大地震に関連し、1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲ったリスボン大地震を挙げ、「大惨事が当時の欧州に与えた文化的、思想的影響」を紹介している。
 それによると、マグニチュード8・5から9の巨大地震がリスボン市を襲い、それに伴い津波が発生。同市だけでも3万人から10万人の犠牲者。同国では総数30万人が被災したといわれる。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、国民経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた。
 例えば、震災後の復旧で手腕を発揮したセバスティアン・カルヴァーリョ首相は国王と国民の信頼を得て権力を拡大する一方、無能な貴族たちはその政治的影響力を喪失していった。大震災がもたらした政治的影響だ。
 それだけではない。「大震災の影響は人間の思考にも大きな変化を与えた」(バチカン放送)というのだ。例えば、ヴォルテール(Voltaire)、カント(Kant)、レッシング(Lessing)、ルソー(Rousseau)など当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けた知識人だ。彼らを悩ましたテーマは「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだったという。例えば、「ヴォルテールはライプニッツの弁神論から解放されていった」といった学者の報告もあるほどだ。
 また、大震災はカトリック教国ポルトガル国民の信仰にも大きな影響を及ぼした。「神はこのような大惨事をなぜ容認されたか」といった「神の沈黙」への最初の問い掛けが呟かれ出したのだ(リスボン地震はカトリック教会の祭日に発生した)。
 21世紀の今日に戻る。リスボン地震と同じ様に、東日本の巨大震災は日本の文化、思想界にどのような影響を及ぼし、何を生み出し、何を変えていくだろうか。日本はキリスト教文化圏ではないから、「神の沈黙」「神の責任と人間の自由意思」の問題は主要テーマとはならないだろうが、何らかの思想的影響を及ぼすとみて間違いないだろう。
 ちなみに、以下は当方の個人的な受け取り方だ。阪神・淡路大震災は1995年1月17日、「神戸」を直撃した。東日本を襲撃した今回の大震災は「福島」の原発を危機に陥れた。「神戸」は「神の戸」と書き、、「福島」は「福の島」と綴る。当方などは、人間の「想定外」のこれらの大惨事から“啓示的な意味合い”を否応なく感じてしまう一人だ。